New Eraのスクエアウェストバッグによる捗りについて

ここ半年くらいNIXONのデカ目のバックパックで通勤していたんだが、ひょんなタイミングでmont-bellのULトレッキングアンブレラを買ったのを契機にバッグのスリム化欲が芽生えてしまった。

ULトレッキングアンブレラ、とにかく軽くて小振りなので取り回しが良すぎる。何故もっと早くこれにしていなかったのかと後悔した。

バッグをスリム化しようとすると所謂ボディバッグ的存在が目立ってくるが、個人的には雰囲気がイマイチなのでなんかもうちょっと違うヤツがないかと探していた時に見つけたのがNew Eraのスクエアウェストバッグだったのだ。

カミさんからは、その年齢でNew Eraのアイテムを持つのはどうなのか、同世代にそういうスタイルの人はいるのか、イタみがないか、と極めて否定的な意見がポンポンと出てきた。

「丸山ゴンザレス」と答えたところ、丸山ゴンザレスが使ってるならOKだね、になるわけないだろ、というレスポンスがあり、なるほどこれが価値観の違いかという気持ちになった。

取り回しも良いし、ボディバッグ感も高くないし、思ったよりはまあまあ荷物も入るので捗っている。電車内でKindle Paperwhiteを取り出しやすくなったのがとにかくありがたい。

オススメです。

人生に煌めきを取り戻した

帰宅してから保育園の連絡帳を見るのが毎日の楽しみのうちの一つである。保育士の方が保育園での様子をわかりやすいように書いて下さっていて、楽しく過ごしているだろう様を想像してはニヤニヤしてしまう。

つい先日、下記のメッセージが書かれていた。

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うひょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!

パパも大好きだよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!111

いやー、もうアレすね、やっていきですね!!!!!!1やっていけますね!!!!!!!!!!!!1

最高!最高!あー、最高。

See also.

kiyo-shit.hatenablog.com

パパ嫌い問題

とにかく問題以外の何物でもなく、圧倒的に生活のハリが失われておりQOLに甚大な影響が出ている。面と向かって「パパのこと好きじゃない」「パパ嫌い」と言われるのは、さながら冷凍都市の暮らしである。

許されない行為

  • オムツ替えをする
  • 髪を結ぶ
  • 着替えをする
  • 寝かしつけをする

許される行為

  • 風呂に入る(体を拭く行為はNO)

あまりにも許されない行為が多いため、カミさんの負担が圧倒的に高まってしまっている。Kaizenのための仮説を立てようにも、概ね許されないのでナシのつぶてと言える。

様々な拒絶行為の中で一番辛いのが、リビングから玄関に向かうようなシーンで「パパ来ないで」と言われリビングのドアを閉められるヤツです。

いつのまにか姿をくらますしかない…。

自分の選択に責任を持つということ

プライベートでも仕事でも、相互に排他的なオプションを選択しないといけない場面には多く出会うわけですが、選択に対する意思決定というのはどんな内容だとしても気軽にするものではない。大して時間をかけずに直感で選択する/切り捨てるだとか、いま必要なオプションを重視するあまり将来的により有効なオプションを軽視するというのも、強い後悔を生んでしまう。

選択した結果、どうなるのか。それが自分にとって他の選択肢によってもたらされる結果よりもグロリアスなのか。そういうことをちゃんと考えて一つひとつの選択行為を大切にしないといけない。そして万が一選択に対して失敗したとしても、それを他責してはいけないし他者によるリカバリーに期待しすぎてもいけない。

成城石井で買ってきたちょっと良いプリンという選択肢を捨ててラムネを食べた結果、やっぱりプリンが食べたいと号泣する娘にとくとくとこんなような話をした。

定位 右寄り 難聴

どうもセンターが数ミリ右に定位して聴こえる。聴こえるような気がするという方が正しいかもしれない、センターに聴こえてくる位置に指を当てるとちゃんとセンターになっていることもある。

イヤフォンの装着の問題かと思ってとりあえず日中はやり過ごしていて、帰宅してからヘッドフォンで試したがやはり右に定位する…。そしてLR逆に装着したらちゃんとセンターに定位した。

わからない…何も…。

ゴベルナ読書法

本を読みやすくする環境作りは一定の成果が出始めているのだが、昔からの悩みであるところの「脳内音読によって読書速度が荒れがち問題」の表面化が著しい。文体やテーマによりけりというところも悩ましく、なるべく安定させていきたい。

そういえば、呪文的ワードを唱えながら読むと脳内音読を軽減できるような記事を読んだことを思い出した。

口にしやすく、リズミカルで、それ自体に意味はなく、また、別の意味も連想しない、という条件でいくつか試したところ「ゴベルナ」に行き着いた。今のところ上手く行っていそうである。

ちなみにロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンから取り出したのだが、不思議と内藤選手を連想しないで済んでいる。

「蟻さん踏んでもいい?」に対する回答について

ここ最近、やたらと体力がついて来たこともあって、昼寝後にもう一度外に連れ出すことが増えてきた。

ストライダーを持って近所の広場的存在で遊ばせていたところ、地面を歩く蟻を見ては首記の質問をされた。

こんなに答えに困る質問もそうないなあ、と答えあぐねているとガシガシと蟻を踏みつけ始めてしまった。まあそうだよな。たぶんダメと言っても踏んでしまっただろう。

潰された蟻を2人で見ながら「蟻さん壊れちゃったー」と、まさに無邪気な発言をする娘に「蟻さんにもパパとママがいるんじゃない?この蟻さんはもうパパとママに会えないね」と伝えた。

難しいなー。踏んではいけないというのは簡単なんだけど、そういうことではないんだよなー。

朝起きたらAviciiが死んでいたので

家族の前でそこそこ取り乱してしまうくらいには混乱してしまった。

そうか、Aviciiも死ぬのか。人は死ぬのだなあ。

その日はimap++というイベントでDJing予定があったが、なんとなくテーマを決めていたくらいで仕込みは直前にシュッとやるつもりでいた。そんなことがあればAviciiの好きなトラックを50分かけ続けるしかない。

Tim Berg名義の10年前のトラックから最新のトラックまで、わずかばかりのハーモニックを意識しただけの気持ちのmix。

https://i.gyazo.com/417c30f69ede93e8dd3ca44ddc5cede5.png

だいぶめちゃくちゃなmixにはなってしまったけど、自分の中では弔えたな、という気持ちになれている。まあ明日はどうかわからない。

人は死ぬのだなあ。

Evernote for Macでリスト記述してるときにtab押して即ハメ

俺なりの煽り系タイトル。

当方macOS。たぶんver7.1にアップデートしてからだと思うが、リスト記述で日本語入力中にインデントしようとtabキーを叩くとフォーカスがあらぬところへ飛んでいって即破滅する(ということを報告した)。

https://gyazo.com/8c312e98be3b314221f9be3e2a95e91a

英語を入力している分には破滅しないので英語を使うようにするか一時的にノートテイキングを違う環境にするかを迫られた結果、Google DriveMarkdownファイルを置くことにした。

好きなエディタでアレできるので良いと言えば良いのだが、Google Driveは.mdにしていると開けないと言われる上に本文が検索対象にもならないため.txtにする運用を強いられている。

未来が見えない。

【追記】
Markdownを置きたいのであればGoogle Driveでなくてもいいのでは、という意見がありそうで、それは完全に正しい。意図としてはドキュメントスキャン的なところも含めてEvernoteというプラットフォームから離脱するための実験みたいな感じ。スキャンできるようになったの昨日からだけど。

スマートフォンからめちゃくちゃにアプリを消した

本が読めない問題の延長線上の行ないとして、とにかく消しまくるということをした。

特段それで不便さはないので、本当に肥やしでしか無い事が良くわかる。

ちなみにiPhone7 Plusを使っているんだが、勢いでホーム画面をスッキリさせた結果、4行になってしまい親指の移動距離が遠くなってしまったのが不便。

2年と2ヶ月経過してわかったこと

ということはつまり下記を書いてから2年以上経たということである。そんなことあるのか。

kiyo-shit.hatenablog.com

さすがに前回記事から1Qとちょっとしか経過していないので新規に調達したモノはそんなに無いけど、コト軸はまあ色々ある。会社でいえば3期目なので企業生存率の話で考えると真価が問われつつある時期になりますね。

モノの類

バランスバイク的存在

たまたまタイムラインに流れてきた写真を目撃したので次の日に買ってその次の日に乗せた。急に思いついて購入した感じではあったんだけども、存在は以前から認知していた。

気に入っているのかいないのか、なんともわからない反応ではある。乗せる度に慣れてきたような様子はある。無理にやらせることもないんだけども、バランス感覚を養うには良さそうなのでほどほどに遊ばせていきたい。

20ピースのパズル

10ピースのパズルは随分前に買ったのだが、飽きてきたようだった。カミさんが友達の家に遊びに連れて行った所、そこにあった20ピース程度のパズルを楽しんでいたという話だったので購入。

とはいえ全然やらないし、全然出来ない感じではあるので見守っていきたい。

おもちゃの対象年齢は結局のところ、当たり前のようなことを言うけども、個々人の能力によるはずで、概ねこの年齢ならば外さんやろという設定にされているのではないかという予想がある。ので、2歳以上になってるから買うとかは気にせず、4歳以上の設定となっていても興味がありそうとか遊んでくれそうであれば買ってしまって良いというスタンスでいる。

トイレのアタッチメント的存在

トイレトレーニングを始めつつある。が、成功事例を見聞きしていないので実験段階といえる。どうやるとどうなるのかに対するサーベイが俺様の中で不足しており、カミさんに任せきりになってしまっていて良くない。

ウンチが出たといった共有はできるようになりつつあるので、ぼちぼち機運は高まりつつあるのかもしれない。

モンテッソーリ教育方面

子どものモノというか俺様が読んだ本ではある。メソッドとしては聞いたことがあったやつ。藤井n段方面で話題になったのもあって目を通すかなくらいの気持ちで読んだ。

「良く観察せよ」「自発性を促せるように親は行動し、その環境を用意せよ」「共感をしめせ」みたいな感じですかね。全体的になるほど感はあったし、接し方の方針ともそぐわないので相応に腹落ち出来る。親がやってしまわずに子どもの自発性に任せて助けを求められたら手伝うとか、せやなーという気持ちではある。

読後の感想として「わかる!そうありたい!でもムズい!なぜなら朝は忙しいから!」という気持ちもある。

子どもの才能を伸ばす最高の方法モンテッソーリ・メソッド

子どもの才能を伸ばす最高の方法モンテッソーリ・メソッド

家族を乗せて運ぶやつ

車買った。便利で最高。

コトの類

普通に会話するようになる

喋り始めが早い件は散々このシリーズで残してきているけども、いよいよ普通に会話するようになってきている。前回の時点ではポツポツと会話ができるくらいの程度ではあったので、やたらと進化している。こちらが怒ると「そんなに怒らないで!」と口答えもしてくる。

耳で聞き取ったものを発声する精度がめちゃくちゃに高いので、親の発言をツルッとオウム返しするようになっており、言葉遣いに気をつけないといけない。

自力での着替えを訓練中

全体的に何でも自分でやりたがるようになったので、とりあえずやらせてみている。徐々に出来る事が増えてきているので、見ている方も楽しい。その中でも着替えについては目覚ましい進歩があり、靴下をそこそこの精度で履けるようになるだとかパジャマを4割程度自力で着れるようになってきている。

人の着ているシャツのボタンを止める遊びにハマっているようで、初めの頃はどうにも止められる様子もなく途中で奇声を上げていたが、最近は時間は掛かるが止められるようになった。

手先の動きの確からしさを高める作業は発達に影響があると上記モンテッソーリ教育方面でも言われているようなので、多少忙しくてもボタンを止めたがったらやらせるようにしている。

絵本を読む

読む、というとさも文字を読むような雰囲気の表現だが、それはそんなことはない。じゃあ何かというと、読み聞かせた結果としてどのページに何が書かれているのかを記憶したようで、めくりながらそれを発声している。しかもほどほどにサマって読んでいるので完全に天才と言える。

直近ではノンタンがまあまあお気に入りっぽい。それはいいんだが、買ったやつのうちのひとつを俺様が気に入っていない。ノンタンがタータンを怪我させてしまい、いたいのいたいのとんでいけをすると飛ばした先の自然物の怒りに次々と触れ、何故かタータンが危機的状況となり、ノンタンワークアラウンド的対処を繰り返した結果、最終的に運良く解決し、最後になってタータンに謝罪して大円団するような内容。

問題なのは運良く解決した手法がおそらく再現性があるため、今後ノンタンは誰かを怪我させたとしてもそれで解決できてしまうため、謝罪するモチベーションどころか他人を怪我させてはいけないという、ごく基本的な倫理観すら欠落しそうである。

ノンタンはもっと痛い目に遭わないとダメではないかとカミさんに問うたところ、痛い目にあっているのでは、という回答だった。そうなのか。もっとこう、鉄環絞首刑のような最悪の思いつき系拷問器具によって虐げられたビジュアルがないと他人を怪我させてはいけないという気持ちにならないのではないか。

小児喘息予備軍になる

年末に患った肺炎気味の風邪以降、咳がなかなか取れずにおり、ちょいちょい内科に行ったものの改善傾向がなかった。喘息ワンチャンあるんちゃうのという疑念もあったため、小児科で診てもらったところ小児喘息予備軍という判定をされた。まあそうだろうなとは思っていたが、実際そう言われるとなるほど…という気持ちにはなる。とはいえしっかり治す動きを取れば大丈夫とも言われた。

1ヶ月半くらい処方された薬を欠かさず飲んだ結果、しっかりと咳も取れて元気に過ごせているのでめでたい。

鬼ソリューション

ある時にカミさんが子どもに向かって「鬼を呼ぶよ」と言っていたの見て、ああ〜〜〜〜鬼な〜〜〜〜それか〜〜〜〜〜という気持ちになった。鬼が電話してくる系のアプリを使っているわけではなくて、多分 Google 画像検索で見つけたであろうまあまあ怖いイキフンの鬼の画像をチラ見せしながら電話するフリをしていた。

鬼ソリューションについては悩ましい気持ちがある。目に見えぬ脅威を匂わせて言うことをきかせるよりは、諭して良きように行動を促せるのがベストだし、カミさんもそれは当然理解していて多用してるわけではない。難しいなあと思うのが鬼ソリューションを頑なに持ち出さないばかりに、言うことを聞いてくれない子どもへのイラつきがMAXになって怒鳴りつけたりしてしまうよりは、その手前で鬼ソリューションを導入した方が良いのだろうか、というところ。答えはない。

ある日、なかなかオムツを替えさせてくれなかったので、仕方なく鬼ソリューションを用いることになった。その後に電車へ乗ったところ、子どもが車内で「鬼さーん!オムツ替えたよー!」と大声で連呼し始め、初老の女性に笑われるという事件が発生したため、これも鬼ソリューションをあまり使いたくない理由のひとつである。

保育園受かった(が来年はわからない)

1年弱、隣町の無認可保育所に預ってもらっていたが、この4月より小規模保育事業所にて預ってもらえることとなった。歩くのもままならない時期から預ってもらい、会話が成立するくらいまで成長した子どもをしっかりと可愛がってくれたので感慨深い。先生や友達の名前も覚えてきていたところでの転出となり、新しい環境に放り込まれるというのは強いストレスになるだろうなあと思うと心が痛む。

小規模保育所ということもあり、預りは2歳までになってしまうので来年には再度申し込まなければいけないため、また同じようなストレスを掛けてしまうという問題もある(空きがあるならば年内に異動もできなくはない)。そもそも3歳からの編入も100%ではないようなので、相応のリスクとなる。

絶賛慣らし保育中だが、流石に去年と比較すると世界を理解できていることもあって、送りの時は強めに泣いていた。保育園に自転車を止めたあたりからグズり始めるくらいには辛そうな様子。とはいえ迎えにいくと楽しそうにしていたし、送り終わったあとも良い子にはしていたようではある。給食も概ね完食できているようでそれも安心できた。これまでの無認可保育所では給食が無いため、 カミさんが毎朝弁当を作っていた。そこの負荷が軽減されたのはめでたいと言える。

本を読めるようにする

本を読む環境作りを疎かにしたまま、読みたい本が Kindle 内にうず高くそびえてきていて、これは一体どうしたものかという気持ちのまま数年過ごしてきており、電車内で Kindle で読んだら良いんだけども座れればそれはそうしているんだが座れない時に Kindle 取り出して読むのが結構精神的に重い、とはいえ乗る電車を変更するなどして座りに行くムーブを取れば良いという話かというとそうでもなくて朝という時間は子どもによって律されるため後ろに倒すことは出来ても前に倒すには相応の家庭内での合意を取り付ける必要があり、その交渉コストは極めて高いためそんなことをするくらいなら立った状態でも良きように読書が出来る環境作りを K.U.F.U したら良いというところに着地させたいがスマートフォンには様々なアプリケーションがあり Kindle アプリを立ち上げる前にいらんことをしがちなのでそれらを全て削除し、なんなら実用性の低いアプリケーションについてはモバイル通信を off にしまくった結果としてスマートフォン内の Kindle にて読書が出来るようになってきているが、困ったことに Spotify の読書・集中系のプレイリストが珍しくしっくりこないため良い感じのプレイリストを探し回ってしまった結果、進捗は芳しくない。

もういいかい、の効能

とある土曜日のこと。娘が昼寝に入ってすぐに、家内が外出した。

2時間ばかり経て、Slack で帰宅する旨の連絡が入るとほぼ同時に、娘がむくりと起きあがった。

「ママどこ」

「出かけてるけど、そろそろ帰ってくるよ」

1歳半も過ぎてある程度コミュニケーションは取れるようになったとはいえ、そろそろ帰る、を理解するにはまだまだリテラシーが不足している。残念ながら全く無駄なカロリー消費行動として家中をひとしきり探索し、リビングに戻ってきては「ママいないね」と確認するように呟いた。

すると、おもむろに両手で顔を伏せて「もういいかい」と唱えだした。

いつの間にそんな事を覚えたのか、と感動するや否や、様式美として「まあだだけど、そろそろ帰ってくるよ」と家内の代返はしておいた。

娘がかくれんぼのルールを理解しているとは思えない。では何を思って「もういいかい」と言ったのかを考えると、おそらく娘の中では「一時的に見えないだけで、本当はそこにいるべき人を呼び出す言葉、若しくはそういう遊び」と理解になっているのでないか。

いつの頃からか、かくれんぼのルールを把握するようになってからは遊びとしてその勝敗のことばかりを考えてしまうようになってしまって、「見えないだけでそこにいてくれる」という前提に気を払うことはしなくなってしまった(そのまま帰っちゃうやつもいたけどね)。娘の行動を見て、ホモ・ルーデンスじゃん!と思ってホイジンガを読み返し始めてしまった。

もういいかいって言ったら、おふくろが出てきてくれたらなあ。こんなに賢くて可愛い娘の姿を見せてあげられるんだけどなあ。