もういいかい、の効能

とある土曜日のこと。娘が昼寝に入ってすぐに、家内が外出した。

2時間ばかり経て、Slack で帰宅する旨の連絡が入るとほぼ同時に、娘がむくりと起きあがった。

「ママどこ」

「出かけてるけど、そろそろ帰ってくるよ」

1歳半も過ぎてある程度コミュニケーションは取れるようになったとはいえ、そろそろ帰る、を理解するにはまだまだリテラシーが不足している。残念ながら全く無駄なカロリー消費行動として家中をひとしきり探索し、リビングに戻ってきては「ママいないね」と確認するように呟いた。

すると、おもむろに両手で顔を伏せて「もういいかい」と唱えだした。

いつの間にそんな事を覚えたのか、と感動するや否や、様式美として「まあだだけど、そろそろ帰ってくるよ」と家内の代返はしておいた。

娘がかくれんぼのルールを理解しているとは思えない。では何を思って「もういいかい」と言ったのかを考えると、おそらく娘の中では「一時的に見えないだけで、本当はそこにいるべき人を呼び出す言葉、若しくはそういう遊び」と理解になっているのでないか。

いつの頃からか、かくれんぼのルールを把握するようになってからは遊びとしてその勝敗のことばかりを考えてしまうようになってしまって、「見えないだけでそこにいてくれる」という前提に気を払うことはしなくなってしまった(そのまま帰っちゃうやつもいたけどね)。娘の行動を見て、ホモ・ルーデンスじゃん!と思ってホイジンガを読み返し始めてしまった。

もういいかいって言ったら、おふくろが出てきてくれたらなあ。こんなに賢くて可愛い娘の姿を見せてあげられるんだけどなあ。