事業計画を作る。まあ、ある程度のポジションを担うと、大なり小なり発生する業務である。
ただ、その「計画」が、いつのまにか「予測」に寄ってしまうことがある。言い換えると、計画が「未来を当てるゲーム」になっていないか、という話でもあります。
最近、事業計画のレビューをしているときに自分が根拠ばかりを聞いてしまい、相手のアウトプットを「予測」のまま受け入れた、という反省があった。そして振り返ってみると過去自分も同じ罠に落ちていた。ので、その反省を元に「計画」と「予測」の違いについて、自分なりの解釈をまとめた。
「計画」は「予測」ではない
言葉遊びがしたいわけではなくて、思考の出発点をどこに置くか、という実務の話です。
もし「計画=予測の精度を上げること」だと無意識に置いてしまうと、思考の矢印が「過去の延長線上で、いかに外さないか」に向く。過去データを集め、トレンドを伸ばし、説明可能なストーリーを作り、誤差を小さくする。もちろん必要な作業である。
ただ、発展途上の局面でこれをやり続けると、組織の重心が内側に寄る。目標を達成することにインセンティブが働くため、それを外すことが罪になり、守りの意思決定が増え、結果として安全側に倒れていく。割とありがちなやつだと思う。
逆に「計画=ありたい未来を実現すること」だと定義すると、出発点が「未来のために、いま何をするか」に切り替わる。非連続な成長はこの切り替えなしには起きにくいはず。
「予測」は天気予報的存在
まず「予測」とは何か。これは過去のデータやトレンドのような客観情報に基づいて、未来に起きそうな状態、つまり蓋然性が高い状態を示すものになる。
たとえば「過去5年の市場成長率が年平均3%だったから、来年も3%くらいで伸びる」という見立て。これは典型的な予測である。
ここには、基本的に意思が込められていない。というか込めようとしても、データがそれを受容しない。
予測は、明日の天気を当てにいく天気予報に近い。気象データがあって、モデルがあって、確率が出る。自分が晴れにしたいと思っても、晴れにはならない。
「計画」は未来への意思を込める
計画は、予測で見えた未来を踏まえつつ、「こうしたい」「こうあるべき」という意思を込める。さらに、その意思を実現するための行動とリソース配分まで落とす。ここまでやって、やっと計画になると思っています。
さっきの例で言えば、「市場は3%成長しそう」という予測がある。そのうえで「うちは新規プロダクトのリリースとセールス&マーケを厚くして、10%成長を取りにいく」と決める。誰が何をいつまでにやるのか、どこにリソースを張るのか、どの指標で進捗を見るのか。これが計画である。
予測が「眺める」営みだとすると、計画は「作る」営みになる。能動と受動の差がここにある。
自分も「予測的な計画」の罠に落ちた
まあ偉そうに言っているのですが、自分も普通にやらかしたことがある。
過去データを集めて、それっぽい予測モデルを作って、数字の整合性を取りにいく。ここに注力しすぎた結果、出来上がった計画は「現状の延長線上の固い読み」になる。外しにくい。説明しやすい。再現性があるっぽい。いかにも正しそう。
でも、そこには「こうありたい」が薄い。ので「どうしたいんですか?」の問いにまともに答えらない。
最近さらに厄介だなと思ったのは、計画のレビューやフィードバックの場面でも同じトラップが出現することである。
冒頭に書いた通り、事業責任者が持ってきた計画が過去トレンドの延長っぽい内容だったときに、「その数字の根拠は?」を確認して満足してしまう。自分も同じことをやっていたから、強く言いにくい、というのもある。
ただ、それをやると相手のアウトプットを「予測」のままに放置することになってしまう。
本当は「その計画の背後にある意思は何か」「なぜそこを目指すのか」を聞かないといけない。場合によっては「これは予測であって計画ではないのでは?」と言う必要がある。というのを痛感した。
数字が綺麗であることと、計画であることは別問題だ、という話でした。
地に足のつかない話で終わらせないために、ナラティブとデータを混ぜる
ここまで言うと、「意思が大事」とか言い出すと、蓋然性が低い願望を正当化するだけでは? という反論が出る。これはめちゃわかる。計画が願望に落ちるリスクは常にあります。
重要なのは、意思と蓋然性のバランスだと要はバランスおじさんが言っている。
ここで効いてくるのがいわゆるナラティブってやつなんだと思った。なぜ高い目標を置くのか。どんな戦略で困難を超えるのか。その結果、顧客や社会に何が起きるのか。このストーリーが語れると、計画は「お祈り」から「原動力」になっていく。
とはいえ、データ重視の場でナラティブだけを語ると、カスみたいなクソおっさんが「で、根拠は?」と一蹴してくる。ここをどう突破するか。
まずやりやすいのは、ナラティブを情熱だけで押し切らず、小さな事実とセットで出せば良さそう。「この市場に行くべきだ」という主張に対して、市場規模データを添える。数名のターゲットユーザーにヒアリングして得たインサイトを添える。小さくテストして見えた初期反応を添える。薄いけど本物のデータを混ぜると、ストーリーの現実味が上げることができる。
もうひとつは、時間軸でモードを切り替えることだと思っています。
来Qの売上目標みたいな短期の話は、予測ベースで蓋然性を高めるのが当然で、ここで変に意思を盛りすぎると現場が破綻する。
一方で、3〜5年の中長期は不確実性が高いので、予測の精度で勝負しようとしても限界がある。そのときは「どうありたいか」の比重を上げ、ナラティブを語るターンを意識的に作ったほうが前に進められる。
短期は予測モードで詰める。中長期は計画モードで意思を込める。そりゃそうだろ、という話なんだが、意思を込めるタイミングを意識する必要がある。
意思の込められた計画
予測は、健康診断の検査結果みたいなもので、いまの数値とこのままいくと起きやすい状態を教えてくれる。これは重要である。
ただ、検査結果を眺めるだけでは、特に良いことは起きない。目指す状態を決めて、運動、瞑想、睡眠、野菜350gのメニューを組み、必要なら治療も含めて実行に落とす。
予測で状況を把握し、そのうえで「どこを目指すか」を意思として置く。人を動かすナラティブを作り、実行のための行動とリソース配分まで落とす。ここまで揃って、計画は効いてくる。
向き合うべきなのは、過去の延長線上をなぞるための予測ではない。予測をインプットとして使いながら、自分たちの手でこの先のあるべきを作りにいく計画である。
そして、その過程で「根拠は?」だけで終わらずに、「意思は?」「それをやる意味は?」と問い続ける。これが思考の習慣として根付くと、計画の筋肉がついていくんだと思っています。