男性更年期外来に行ったら覚悟を決めることになった

仕事で男性更年期に関する事業を進めている。自分にも気になる症状があるので体験して色々知っておこう、ということで、男性更年期外来を受診した。知行合一ってやつである。

prtimes.jp

フィットネス界隈では、ドーピングすることを「覚悟を決める」と表現するミームがある。受診先を探していたら、スポーツ目的のテストステロン投与についても、副作用への対応までめちゃくちゃ詳しく書いているクリニックがあった。覚悟を決めにいくための情報量があまりにもすごくて、逆に信頼できるな、と思ったのだった。そんなわけでそこに行ってきた。

診察では、症状を伝えると「いかにも男性更年期の症状ですね、血液検査しましょう」となった。なんにしても血液検査をしないと話が進まない領域なのだと思った。

その日は採血をして終了。検査結果は後日あらためて聞きに行くことになった。

で、今日、検査結果を聞いてきた。遊離テストステロンの値が「かなり低いですね」とのことだった。

検査では総テストステロンと遊離テストステロンを測っていて、総テストステロンはむしろ多いほうだった。ただ、総量が多くても遊離テストステロンの値が低ければ治療を考える、という説明だった。男性ホルモンの仕組みや治療方針が書かれたペライチと、実際の検査結果を見ながら丁寧に説明してもらった。

検査結果を聞くまでは、まあ諸症状はあるにしても俺のテストステロンが低いなんてことはなかろう、と高を括っていた。筋トレしてるし、なんならその辺を歩いている人よりは筋量もある。という自信があったのだが、検査結果はそうではなかった。

ショックというより、マジで低いんかい、という気持ちである。「計測せよ」ってこういうことだなと思った。

医師からはテストステロンを補充したほうがよい、保険適用になる、と説明され、そのままシュッと肩に筋肉注射をされてきた。図らずも「覚悟を決める」ことになった。

これで男性更年期パーソンです。

あっさり治療が始まったのでその場では特に何も思わなかったが、帰りの電車で「そうか、これでもうプロスポーツ選手にはなれないんだな」と思った。テストステロンはアンチドーピングの禁止物質に含まれている。1

数年前にid:kawangoさんが骨折して入院したときのブログを思い出して読み返した。いつかはプロのサッカー選手になりたいという子供の頃からの夢を、とうとう完全に諦める時が来た、という話。まあ俺は別にいま何かスポーツやってるわけじゃないから実害は無だが、選ぶということは他の選択肢を捨てるというやつである。

kawango.hatenablog.com

治療は始まったばかりなので、効果について書けるのはこれからである。まずは治療を続けながら、自分の身体に何が変わるのかを見ていく。男性更年期の事業も気張ってやっていく。当事者意識どころか当事者ですので。


  1. 調べたところ、実際には一定の条件を満たして承認を受ければ、治療目的で禁止物質を使用できるTUE(治療使用特例)という制度があるっぽい。治療を受けたら一律に競技へ参加できなくなる、ということではなさそう。詳しくはJADAの説明を参照。↩

同情するなら仕組みをくれ

ちょうど一年前に感情で仕事をしないというエントリーを書いた。気に入らないから提案を却下するとか、気分が乗らないから仕事の品質が下がるとか、そういうものに仕事を委ねるのはどうなのか、という話。Will(意志)とEmotion(感情)は別物で、継続して成果を出すためにはそのときの気分よりもプロセスを頼りにしたい。

kiyo-shit.hatenablog.com

これは今もそう思っているのだが、怒りや不機嫌に振り回されなければそれでよいのかというと、もう少し考える余地がありそう。最近Michael Heapのエントリーを読んで、以前メモしていたC.S. Lewisの一節とつながることに気付いた。反省や共感のように、むしろあった方がよさそうなものでも、仕事がそこで止まることがある。

ちゃんと反省して、事情も理解して、お互いに納得した。が、次に同じ状況になったら、また同じことが起きそうな気配がある。

この「ちゃんとやったのに何も変わっていない」という状態について考えていた。

反省を行動につなげる

C.S. Lewisの『悪魔の手紙』にfeeling without acting という話があって、これはクリバムのインスタで知った。

www.instagram.com

先輩の悪魔が後輩の悪魔に、ある人間の悔い改めをどう無力化するか助言している場面で、次のように書かれている。

感じるだけで行動しないことを繰り返すほど、人間は行動する力を失い、長い目で見れば、感じる力まで失っていく。

人間が反省したり善い気持ちになったりすること自体は止めなくてもよい。それが意志や行動に届かなければ悪魔にとっては困らない。

良いこと言ってそう~~~。本当に反省していても、深く考えていても、それによって振る舞いが変わらなければ元の問題は残る。むしろ「自分はちゃんと反省した」という感覚がそこで話を終える理由になってしまう。「もっと反省しろや」と求めても、その反省をどう扱うかが変わらなければ同じ場所に留まるだけなのかもしれない。

反省や共感を意志と行動につなげないまま、じゃあそれで、としちゃっていないか。

行動しないわかり手

Michael HeapのI don't want the detailsには、問題が起きた経緯を説明しようとしたところ、SVPから話を遮られたエピソードが出てくる。

michaelheap.com

詳しい事情はいらない。私たちが何を変えるのかを知りたい。

詳細を聞けば、そうなったらそうなるわな~と思うことはある。関わった人たちが、それぞれ合理的に判断したこともわかるだろうし、共感もできそう。ただ、そのままだとまた同じことが起きうる。だからこのSVPは何を変えるのかを聞いている。

現場の人達の能力や善意は最初から信頼している。その上でじゃあどうすんの、ということである。

「その状況ならしゃあないわな~」は人間への理解としてはまあ良さそう。ただ、そこから「今の仕組みを変えなくてよい」は導けない。ポストモーテムでもここは気をつけたい。経緯を整理して、みんなで「なるほど」となっただけでは問題への対処まで済んだことにはならない。

Lewisが書いていた、感じるだけで行動しない、という話を組織のなかで考えるとこういうことでもある。個人の反省が行動に届かないのと同じように、会議で成立した理解や共感が組織の変更に届かない。誰も不真面目ではないのに、次も同じ失敗が起きる余地が残っている。

反省を覚えていなくても使えるものにする

Heapのエントリーの中で、Aliceが休暇中でBobはWidgetsチームの担当だと思っていたために対応が漏れた、という例が出てくる。これに対して「次からちゃんと確認します」と言うのは簡単で、言った本人も本当にそうしようと思っているのだろう。

ただ、それで変わったのは今この場にいる人の意識だけかもしれない。次の担当者は今回の反省を知らない。知っていたとしても半年後のクソ忙しい日に思い出せるとは限らない。

ここでの課題は次に同じ種類の失敗が起きにくくなるように何を変えるかである。担当者の次の休暇にだけ備えるのでは狭い。誰かが不在になると担当が曖昧になるという条件を変えたい。

不在時には誰が引き受けるのかを決め、引き受けたことまで確認できるようにする。そういう変更なら、前回の失敗を覚えていない人にも使える。これは対応漏れの例に対する一案だけれど、「気をつける」から何を変えたのかは説明できる。

その問題に関わった全員が明日会社を辞めても、その対策は機能するだろうか。

人が学んだことと、組織に学習が残ったことを分けて考える。対策がその人たちの記憶にしか残っていないなら後人には届かない。

以前書いた「プロセスの力を信じる」という話もここにつながる。そのときの気分に左右されずに仕事を進めるために、プロセスを設計する。同じように、そのときの反省の深さに頼らずに済むよう、仕事の進め方を変える。反省した気持ちをずっと強く保つより、その気持ちを思い出さなくても動けるようにした方がよい。

変えないと決めることもある

とはいえ、失敗するたびにチェックリストへ一項目追加、みたいなのを延々と続けていたら仕事がダルくなりつづける。同じ種類の失敗が起きる条件を変えたいはずが、個別の出来事にだけ効くルールを積み上げたところで、確認する仕事だけが増えていく。

再発防止のための負担がその失敗を受け入れる負担より大きい場合もある。であれば、リスクを理解したうえで受け入れる判断があってよい。

「このリスクを意図的に許容している」という状況と、「もっと努力すると約束したことで皆が安心した」という状況では全く意味が違う。

変えないのであれば、どんなリスクを引き受けるつもりなのかを自分でも説明できるようにはしておきたい。

事情を聞く側にも仕事が残っている

この話を「反省するだけで変わらない人がいる」という話として書くのは簡単なのだが、自分はどうか、というのが残る。特に事情を説明してもらう側にいるときである。

相手の話を丁寧に聞いた。置かれている状況も理解できたし、本人だけの問題ではないこともわかった。相手を責めずに話を終えたことで、自分もよいマネジメントをした気になっていないか。

本人だけの問題ではないとわかったなら、本人への注意で終わらせるわけにはいかない。優先順位を決めたのは誰か。必要な人員や権限を用意できていたのか。変更が必要なのは自分が決めた条件の方かもしれない。

私が仕事で重視しているExtreme OwnershipやDesign It1も、こういう話として捉えたい。責任を引き受けるなら、次の結果を変えるために、自分の判断も変える。

たとえば、仕事が重なって対応が漏れるなら「全部大事だから何とかして」と言っている自分の優先順位づけも問われる。その人が追加の確認をする時間を、どの仕事を減らしてつくるのか。現場に対策を考えてもらうだけでは自分が決めるべきことが手つかずで残る。

「何を変える?」と聞く自分も、「同情するなら仕組みをくれ」と言われる側にいる。自分も変更対象の外にいるわけではない。この問いを相手にだけ向けていたら、結局は「次はもっと頑張ってね」を少し格好よく言っているだけになってしまう。

前に書いたのは、感情に判断を任せないという話だった。そこにもう一つ、反省や共感が十分にあったことを、仕事の完了と取り違えない、というのを足しておきたい。

何を変えるのか。変えないなら、何を引き受けるのか。説明を聞いて納得した自分にも、その判断が残っている。


  1. Extreme OwnershipとDesign Itは、ともに株式会社リンケージのValues。↩

携帯回線2026 #3 結局povoとLINEMOに戻った

今年3回目の携帯回線変更をした。

年始にpovo2.0をいつでもメインに戻せる構成で回線を組み直して、その3週間後にはahamoの回線品質に耐えられずauに移ったわけだが、そこからさらに回線を変えることにした。

回線種別 変更前 変更後
主回線 au povo2.0
副回線 楽天モバイル LINEMO

年始にpovoからauへ移ったのは、povoで5G SAが使えないのと、au Starlink Directを別で契約する必要があるのが理由だった。

ところが8月になって、この2点がどちらもなくなった。

まず、povoが8月25日から5G SAに対応したので、これで主回線をau本体にしておく理由がなくなった。

auからpovoへの移行は、MNP予約番号を発行する必要もなく、普通にポチポチやっていただけで電話番号の移行まで終わった。さすがKDDI内の移行だなと思った。

副回線は楽天モバイルからLINEMOに戻した。

9月1日からLINEMOベストプランでSoftBank Starlink Directを追加料金なしで使えるようになるので、Starlink Directのためにauにしておく必要もなくなった。将来的にpovoでもStarlink Directが使えるようになったとしても大勢に影響はない。

年始の記事では「いつでもpovo2.0をメインに戻せる構成」と書いていたわけだが、本当にその年のうちに2025年と同じpovoとLINEMOの組み合わせへ戻ることになった。

今年3回目なので、そろそろ打ち止めにしたい。

サコッシュの外にペットボトルを吊るして、磁石で外せるようにした

最近BRIEFINGのサコッシュをよく使っている。横33cm、縦24.5cmとサコッシュとしては大きめなのだが、マチは3.5cmしかない。

ペットボトルも中に入るには入る。ただ、まあまあパンパンになり、ほかの荷物を入れる余裕がかなり減る。できれば飲み物は外に出しておきたかった。

そこで、山崎実業のシリコーン水筒ホルダーをペットボトルに付け、サコッシュの外に吊るすことにした。

持ち手のないボトルにシリコーンの輪を通すだけで、指をかけられるようになる。付属のカラビナで適当なところにも取り付けられる。ここまではかなり良い。

飲むときどこから外すか

サコッシュからペットボトルを外す方法は二つある。ボトルをシリコーンの輪から抜くか、カラビナを外すかである。

前者は現実的ではなかった。輪の締め付けがかなり強く、毎回そこから抜いて、飲み終わったら付け直すような作りではない。もっと緩ければ外しやすいだろうが、それでは持ち手として不安である。

もう一つの選択肢は、カラビナを外すことだった。これも毎回やるにはわりと面倒だった。フックを外しやすい向きに変えてから、ゲートに指をかけて開く必要がある。一度なら何でもないが、水を飲むたびにやる操作としては重い。

輪の圧力はボトルを落とさないためにあり、カラビナも勝手に外れないようにできている。毎回外す場所としては向いていないだけだった。

間に磁石を挟む

そこで、サコッシュと水筒ホルダーの間にマグネットリリーサーを挟んでみた。釣りやキャンプで道具を吊るすための部品で、磁石のところから二つに分かれる。

接続はこうなる。

サコッシュ → マグネットリリーサー → シリコーン水筒ホルダー → ペットボトル

これなら、ホルダーはペットボトルに付けっぱなしでよい。飲むときは磁石のところから切り離し、飲み終わったら近づけて戻す。

今のところ、実際に使っていて急にペットボトルが落ちたり、ずれたりしたことはない。マグネットリリーサーは耐荷重5kg、水筒ホルダーは直径5.8〜8cm・静止荷重2kgと表示されている。中身がオスミウムでもない限り、重量そのものはそれほど気にしなくてよいことにした。ただし、これは各部品の販売表示であり、組み合わせ全体の安全荷重ではない。歩いているときには揺れも加わる。

ちなみに、水筒ホルダーとマグネットリリーサーは、それぞれ2つずつ買った。2組ともバッグ側とボトル側の向きを揃えておけば、バッグを替えるときはペットボトルだけを移せる。

これで、ペットボトルを中に入れずにサコッシュの薄さを保ちながら、ホルダーを外したり、カラビナの向きを直したりせずに済む。部品を一つ足しただけだが、かなり取り回しが良くなった。

大吉祥寺.pm 2026で26kg痩せた話をしてベストLT賞を頂いた

大吉祥寺.pm 2026に参加して、「摂理と合理の肉体改造」というLTをした。

発表資料はSpeaker Deckに公開している。

speakerdeck.com

id:magnoliakさんがナイスだから吉祥寺.pmはナイス

bashさんの「テックカンファレンス三大ステークホルダーの文化人類学」もナカミチさんの「論語・武士道・産業革命から見る かわるもの、かわらないもの」も、めちゃくちゃ良かった。

ビッグ主語だが、今年は全国的に「人としてナイスでありたい」という空気感が強くなっている気がする。

吉祥寺.pmというイベントというかコミュニティにそういうマインドの人たちが揃っているのがとても良いところなんだと思った。この空気にはid:magnoliakさんの振る舞いがかなり効いていると思う。

コミュニティは一人で作るものではない。それでも中心にいる人が何を面白がり、誰にどう感謝し、人へどう接するかは、その場の空気にかなり影響する。id:magnoliakさんがナイスだから、同じ空気を好む人たちが集まり、吉祥寺.pmもナイスなコミュニティになっている。

id:magnoliakさんをはじめ、この場を作った運営、登壇者、参加者のみなさんへ、ありがとうございました、という気持ちである。

去年の大吉祥寺.pmは本編のキャンセル待ちが取れなかった。結果、アフターパーティーでDJだけしに行くおじさんになってしまったので、今年はちゃんとLTができてよかった。

ベストLT賞

LTでは26kg減量した話をしたのだが、当日の朝にミニマムの体重を持ってこれたので偉い。

思いがけずベストLT賞を頂けた。人体を合理的にハックする話として評価してもらえたんだと思っている。

ありがとうございます。

ベストLT賞のTシャツも頂いた。

受賞後の一言コメントで、「どうやって痩せたかは有料noteにして荒稼ぎしようと思う」というジョークを放り込ませてもらったのだが、帰りの電車で「いや、たしかにそれはやってもいいかもしれんな???」と思い直した。

というわけで、荒稼ぎさせてもらいます。

それはそれとして、LT本編では名前しか出せなかったMacroFactorとHevyについて、なぜ使っているのかだけ補足しておく。

MacroFactorとHevy

食事管理にはMacroFactorを使っている。MyFitnessPalよりUIが妥当で、栄養成分表示のOCR、毎週の摂取カロリー調整、食事のコピペが使いやすい。

トレーニング管理はHevyである。Powerbeats Pro 2で取った心拍数を管理でき、共有URLをHermes Agentに喰わせればObsidianへの記録も終わる。

LTで話した「人体を合理的にハックする」の実態は、だいたいこういう地味な運用である。

実際に何を食べ、どういう有酸素運動をやって、どうトレーニングして26kg落としたのかは、有料noteで荒稼ぎするために取っておきます!!!!!!!

文体はプロンプトではなく、フィードバックループで守る

omokageという文体一致度を評価してくれるツールを見かけたので試してみた。 debimate.jp

以下がそれです。


AIに文章を書かせるとき、最初にやりがちなのは「自分の文体で書いて」と指示することである。自分の過去記事を読ませる。口調を指定する。よく使う言い回しや避けたい表現を書く。まあ、最初の足場としては普通に有効だと思う。

ただ、文体をプロンプトに預けると、だいたい本人からズレていく。

初回はそれっぽくなる。語尾も寄るし、言い回しも寄る。なんなら本人より本人っぽい誇張表現まで出してくる。でも何本か続けていると、文章が少しずつ平均化していく。正しい。読みやすい。構成も整っている。なのに「これは自分の文章ではない」という違和感が残る。

今この文章を書いているプロセスも、その実験である。Hermes AgentがいるDiscordのブログ用チャンネルに「idea: 文体はプロンプトではなく、フィードバックループで守る」と投げたら、AIが論点、想定読者、この記事で扱う価値、構成案に分解した。悪くない。ではそれをもとにdraftを作ってみてくれ、ということで、この文章が出ている。つまり、この記事のテーマそのものを、記事制作のプロセスで試している。素振りですな。

そして実際、一回目のdraftを読むと、すぐにいくつか引っかかるところがあった。意味は通るが自分が使わない比喩。文脈に対して過剰な但し書き。上品すぎる評価語。一回限りのネタを定型句のように扱う締め方。読者向けに親切すぎて、自分の考えを残す文章ではなくなっている感じ。

どれも一つひとつは小さい。文章全体が破綻するほどではない。むしろ、普通に読む分には気づかれないかもしれない。ただ、その小さいズレが積み重なると、自分が書いたことにしてよい文章から離れていく。自分にとってブログは、読者に何かを教える場というより、考えていることの置き場なので、ここがズレると結構困る。

AIの出力に対して人間が違和感を拾い、言語化し、次の出力に戻す。この一連の流れが、ここで言うフィードバックループである。文体におけるHuman-in-the-Loopと言ってもよい。大げさな話ではなく、この小さな違和感を拾って戻すことによって、文章が少しずつ本人側に寄っていく。

文体は語尾ではない

文体というと、まず語尾や言い回しの話になりがちである。「ですます調なのか、である調なのか」「短文が多いのか」「比喩を使うのか」「カジュアルなのか」みたいな話。もちろんそれも文体の一部ではある。ただ、そこだけを真似ると、かなり気持ち悪い文章になる。

本人っぽい語尾で、本人が言わなそうなことを言う文章。これが一番きつい。

文体の中核は、たぶん判断基準の方にある。何を疑うか。どこで言い切るか。どこで留保するか。何を過剰主張として落とすか。どの比喩なら残し、どの一般論なら捨てるか。何を「うまいけど薄い」と感じるか。

たとえばAIに「文体を守る記事」を書かせると、ありがちな出力はこうなる。

AI時代において、自分らしい文体を保つことは非常に重要です。単にプロンプトを工夫するだけではなく、継続的なフィードバックによって文章の質を高めていく必要があります。

まあ正しい。正しいんだけど、これを読んで何をすればいいのかはあまり残らない。なぜそれが難しいのか、どこで破綻するのか、どう運用すれば保てるのかが見えない。きれいな一般論であり、別に自分が書かなくてもよい文章である。

自分の場合、こういう文章を見ると「綺麗だけどカスだな」と感じる。構成は正しい。主張も間違ってはいない。でも、運用に落ちていない。後から読み返したときに、自分が何を考えていたのかを辿れない。そういう文章は、自分の名前で出す文章としては弱い。

これは口調の問題ではなく、判断の問題である。

プロンプトは初期設定でしかない

プロンプトに「自分らしく」と書くことはできる。「率直に」「運用に落とす」「AIっぽい表現を避ける」「後から読み返して思考の経路を辿れる文章にする」みたいに書く。これはやった方が良い。

ただ、それは初期設定であって、保守運用ではない。

ソフトウェアでも、最初に設定ファイルを書いたからといって、システムが永遠に良い状態で動き続けるわけではない。ログを見る。異常値を見る。バグを直す。使われ方に合わせて設定を変える。運用して初めて品質が保たれる。

文章も同じで、プロンプトを書いた瞬間に文体が固定されるわけではない。出力を読み、違和感を拾い、戻す。この繰り返しがないと、AIはだんだん「それっぽい平均」に寄っていく。そして、その平均はだいたい優等生である。きれいで、正しくて、毒が薄い。毒が薄いというか、面影が薄い。

良い例だけでは足りない

文体を守るとき、良い文章を集めるのは大事である。自分の過去記事をコーパスにする。公開したい文体だけを集める。会議メモやAI下書きは混ぜない。これはかなり重要だと思っている。混ぜると、何を再現したいのかが濁る。

ただ、良い例だけでは足りない。必要なのは拒否例である。

「これはうまい。でも自分ではない」 「この言い回しは寄せすぎていてキモい」 「この結論は一般論で終わっている」 「この比喩は便利だけど、自分の経験から出ていない」

こういう負例がないと、文体の境界線が引けない。人間の編集でも同じで、何を採用するかだけでなく、何を落とすかに本人性が出る。

AIに文章を書かせるときも、ここをちゃんと残す必要がある。採用した文章だけを保存すると、見た目の近さは上がるかもしれない。でも拒否の履歴がないと、なぜそれを落としたのかが次に伝わらない。文体とは、採用の履歴であると同時に、拒否の履歴でもある。

自分のブログレーンではこうしている

最近は、この作り方をブログ制作の小さな型にしている。idea: と書けば、思いつきが記事の種として整理される。draft: と書けば、そこから本文の初稿が返ってくる。

裏側では、過去の公開記事をstyle-corpus、つまり文体を見るための参照文章として置き、omokageという文体リンターで近さを見る。さらにblog judgeで、記事として通るか、AIっぽくないかを見る。

ここで大事なのは、omokageのスコアを品質判定にしないことである。

文体が近いことと、記事として面白いことは別問題である。Similarityが高くても、中身がゴミなら落とす。逆にスコアがそこまで高くなくても、主張が強く、実体験があり、自分の考え方がちゃんと残っているなら残してよい。

これは、AI文章制作を「プロンプト芸」ではなく「編集システム」として扱うという話でもある。プロンプトを書く。出力する。文体リンターを見る。記事ジャッジで落とす。違和感を言語化する。必要ならコーパスや評価基準を更新する。もう一度書く。ここまでやって初めて、文体が守られる。

文体保守ループはHITLである

ここでいうHITLは、ざっくり言うとこういう流れになる。

まず生成する。最初から完璧を狙わず、AIに一回書かせる。次に人間が違和感を拾う。「なんか違う」を流さない。語尾が違うのか、主張が弱いのか、例が借り物なのか、結論がきれいすぎるのかを見る。

その差分を言語化する。「もっと自分っぽく」ではなく、「この段落は一般論で、自分の運用経験がない」「この結論には自分の思考が残っていない」と書く。そして、拒否例を残す。通らなかった文章も資産である。むしろ文体の境界線を作るのは、通らなかった文章の方かもしれない。

最後に、評価基準とコーパスを更新する。良い例を増やすだけでなく、何を落とすかの基準を育てる。これを回す。

HITLというと「人間が確認しています」という安全装置っぽい言葉として使われがちだが、文章に関しては確認だけだと弱い。人間の違和感が、次の生成条件や評価基準に戻っていくところまで含めてループである。人間が毎回同じ赤入れをしているなら、それはHITLというより、ただの手戻りである。

めちゃくちゃ地味である。プロンプト一発で文体が完成する、みたいな魔法感はない。でも、実務としてはこっちの方が信用できる。

違和感を握りつぶさない

文体を守るというのは、毎回少し怒ることに近いのかもしれない。というより、違和感を握りつぶさないことに近い。

もちろん本当にキレ散らかすという意味ではない。出力に対して「まあこれでいいか」と流さないということ。自分の文章ではないものを、自分の文章として通さないこと。

AIが出してくる文章は、放っておくとどんどん無難になる。誰も傷つけないし、だいたい正しい。でも、そのままでは後から読み返しても、何を考えていたのか辿れない。

プロンプトは大事。でも、プロンプトは文体の憲法ではない。最初の設定であり、仮説であり、たたき台である。文体を守るのは、その後のループである。読み、違和感を拾い、落とし、直し、また書かせる。採用と拒否の履歴を積む。

AIに文章を書かせるというのは、文体を外注することではない。自分が何を良いとし、何をゴミとして落とすのか。その判断基準を、毎回少しずつ外部化していくことである。

なので、プロンプトだけでは足りない。人間が違和感を拾い、戻し、次の出力を変える。そのループが回っている限り、AIに書かせた文章でも、自分の考えとして残せる可能性がある。


Similarityは79。「こんな言い方はしねえな」っていうのはないかな。これに書いてある通り、Hermes Agentの中で校正する作業をやっていくと割と良い感じになりつつある。もうちょい練度は高めたい。こうやってどんどん下書きが溜まっていく。

まあそこまでしてAIに文章を書かせたいかというと全然そんなことはなくて、ある種の競技をやっているのに近い感覚である。

どちらか言えばダラダラと喋ったのをそれっぽい文章にしてくれるほうがよっぽど実用性はあるな。

社会が希望を持つ場所を探す

奇奇怪怪のTaiTanがホストしている超流通という(Video)Podcastの最新回のゲストがクラシコムの青木さんで、まだ前編だというのにとにかく全てが最高だったので絶対視聴して欲しい。

open.spotify.com

ちょっと前に界隈の方々とメシを食ってたときに「クラシコムは発信のチャネル選定が絶妙」という話で盛り上がったことがあったのだが、青木さんの話の中で一番引っかかったのはチャネル選定の話ではなかった。

SNSに張らずにPodcast、YouTube、アプリに張ったという判断自体もすごい。それ以上に頭に残ったのは「社会がそこに希望を持っているか」という見方。

いま人がたくさんいる場所、いま伸びている場所、いま数字が出ている場所。事業をやっていればそういう場所が気になるのは当然じゃないですか。が、人がいる場所と、人が希望を持っている場所は別物。

たくさん人がいるのに、そこに前向きな気持ちが残っていない場所がある。使わないと困る、いないと不利になる、やめたいけれどやめられない。そういう理由で人が集まっている場所もあるよな、という話。

事業やプロダクトを考えるとき、我々はついどこに人がいるかを見てしまう。どのチャネルのCPAがよいか、どのプラットフォームでリーチが取れるか、どこに広告を出せば効率よく獲得できるか。短期の成果を作るには効率のよい場所がいる。

しかし、長く残るものを作るときにはそれだけでは足りない。

見るべきなのはそこに人がいるかではなく、そこに人が希望を置けるか。

流行っている場所と、希望が置かれている場所は違う

流行っている場所には熱量がある。が、その熱量が希望から生まれているとは限らない。

焦り、不安、依存、比較、義務感。そういうものから生まれる熱量もある。SNSのタイムラインを眺めて最後に残るのが疲労感だけ、みたいな経験は誰にでもあるんじゃないか。なんならいままさにそういう空気が支配的と言える。

一方、まだ大きくはないが、人がそこに自分の時間を預けたいと思える場所がある。数字にはならないが、居心地がよく、自分のために用意されていると感じられる場所。そこで過ごすことで、自分の生活や仕事の手触りを少し取り戻せる。

こういう場所は初期には効率が悪く見える。リーチも獲得効率も出ない。社内で説明するのも難しい。

それでも時間をかけて蓄積されると、後から強い資産になる。コンテンツ、コミュニティ、イベント、プロダクト、採用広報、社内制度。領域は何でもいい。最初から事業計画の主要施策として立派な顔をしていることの方が稀である。

最初は小さな違和感、説明しづらい面白さとして現れる方が多い。

種は、芽が出るまで種だとわからない

新しい取り組みを評価するのは難しい。次の成長機会につながる取り組みは、最初からそれが種だとはわからない。芽が出て、茎が伸びて、何かの形になって、ようやく「あれは種だったんですな」とわかる。

だから、探索を短期ROIだけで評価するとかなりのものが早く死ぬ。

一方で、すぐに成果が出ないから探索です、と言えば何でも許されるわけでもない。ただの趣味や散漫さにもなる。自分にも心当たりがあるので強く言えないが、大事なのはどの違和感に張るかだ。

なぜか気になる人。なぜか残る言葉。なぜかまた行きたくなる場所。まだ説明できないが、後から効いてきそうな座組。事業上の意味をきれいに説明できないが、何かがありそうな感覚。

そういうものを完全には捨てずに持っておく。ただし、何でも持つのではなく、自分たちの主観に照らして残るものだけを残す。

これは予測ではなく意思。未来を当てることではなく、自分たちは何に張るのかを決めるということ。

主観を守るには、構造が必要になる

主観は気合いだけでは守れない。

自分たちはこれがよいと思う、この方向に張りたい、短期的には非効率でも、長く見れば意味がある。そう思っていても、財務に余裕がなければ続けられない。組織が短期成果だけで評価されていれば、誰もやらなくなる。チャネルに依存しすぎていれば、外部環境に振り回される。ステークホルダーとの関係が弱ければ、説明できない活動から削られていく。

だから、主観を守るには構造が要る。彼等が言う「プロテクト」だ。守りのように聞こえるが、要は攻め続けるための条件設計。

open.spotify.com

自由にやるためには、自由を守る構造がいる。長く続けるためには、長く続けられる財務と組織がいる。一貫性を保つためには、短期合理性に飲まれないだけの余白がいる。

欲張らないこともその一部。成長しないという話ではなく、広げる速度を間違えないという話。欲張りすぎると守るべきものが壊れる。守りすぎると何も広がらない。

このバランスを取り続けることが経営やプロダクトの仕事である。

考察しすぎると、本当のことが見えなくなる

我々は考察することに慣れすぎている。市場環境を分析し、顧客インサイトを整理し、トレンドを読み、競合を比較し、ペルソナを作り、AIに壁打ちしてもっともらしい仮説を並べる。

有用なのは間違いない。自分自身も日常的にやっている。

しかし、分析は主観の代わりにはならない。なぜこれが伸びるのか、なぜ今この市場なのか、なぜこのチャネルなのか。そういう問いに答え続けているうちに、自分たちが何をよいと思っているのかが薄くなっていく。

もっともらしい理由は後からいくらでも作れる。AI時代にはそれっぽい戦略、それっぽいインサイト、それっぽいナラティブはいくらでも生成できてしまうじゃないですか。

だからこそ最後に残るのは主観なんだと思う。

自分たちは何をよいと思うのか。誰のどんな時間を少し良くしたいのか。どんな状態が増えることを心から望ましいと思えるのか。ここを引き受けないまま考察だけを積むと空洞化する。

社会が希望を持つ場所を探す

経営やプロダクトの仕事は未来を当てることではない。

予測はそれはそれで必要。市場規模、顧客課題、競争環境、採算性。これらを見ずに進めるのは無責任。が、予測だけでは前に進めない。

どこに張るのか。何を守るのか。どの非効率を引き受けるのか。どの小さな違和感を捨てずに持っておくのか。そこには意思がいる。

社会が希望を持つ場所を探す、というのは綺麗な言葉に聞こえる。が、実際にはかなり泥臭い仕事ですな。

まだ数字にならないものを見る。まだ説明しきれないものを続ける。短期合理性に負けないように守る。同時に、ただの趣味や自己満足にならないよう現実の事業や組織に接続する。

希望は放っておいて見つかるものではない。観察し、試し、守り、続けることで、ようやく輪郭が見えてくる。

流行っている場所に行くのではなく、社会が次に希望を置ける場所を探す。その場所は、最初は狭く、効率が悪く、説明しづらい。しかし、長く残るものはそういう場所からしか生まれない。

大腸内視鏡検査を受けたら痔の薬を処方された話を聞いてください

大腸内視鏡検査を受けてきた。結論から言うと、癌もポリープもなかった。あったのは痔だった。痔なのは以前から知っていた。

きっかけはいくつかある。昨年11月に大学時代の先輩が肺癌で亡くなったのだが、3〜4年前に「大腸がんになっちゃったんだよね〜〜〜」とさらっと告げられて返す言葉を失ったことがあり、あれが転移したのかもしれないという話だった。 それ以外でも大腸を切除したという別の先輩の話も聞こえてきたりしたので、大腸内視鏡を受けておいた方がよさそうだな、という気運が自分の中でじわじわ高まっていた。

そんな折、会社の顧問の皆様方とキックオフの懇親会で飲んでいたら、やはり大腸内視鏡の話題になった。ポリープを切除すると保険適用になるし、手術扱いになるから医療保険の手術給付金も出る、やっといた方がいいよ、という勧めがあった。ossan.fmを聞いていたらnagayamaさんも受けてポリープを切除した、というくだりがあり、これはもうタイミングだろうと思った。

パッと予約を取ろうとしたら、なんと12月の時点で3月頭まで予定が完全に埋まっていた。実質タダで内視鏡検査が受けられるならみんな受けに行くわなぁ、と納得しつつ3月上旬にようやく枠を取った。

検査の2週間前に事前診察でクリニックへ。ドクターから検査内容や注意点のヒアリングがあり、続いて看護師さんから食事制限の説明を受けた。前日は検査食をひたすら食べ、前々日はキノコ・根菜・海藻を避け、前日は乳製品も取らないでほしい、とのこと。そこでギョッとして「プロテインも乳製品ですか?」というしょうもない質問をしてしまった。

前日の朝食で検査食の一食目を食べていたら、子供から「まずそう」という率直なフィードバックをいただいた。こっちはうまいまずいとかそういうレベルでプレイしてねえから、と思いました。

あと、腹が減ったら透明な飴を舐めていいと言われていたのだが、透明な飴と言われて思いつくのは黄金糖くらいしかなく、黄金糖ライクなものを1日舐めて暮らしていた。氷砂糖でもよかったらしいのだが、最寄りのスーパーにはデカいサイズのものしかなかったので諦めた。

当日は朝から液体の下剤と水をガブ飲みし続けることになる。レモン味と梅味どちらがいいですかと聞かれて、反射的に「どっちが出ますか?」と聞いてしまったのだが、「どっちも変わらないです」と返ってきて、まあそれはそう。

言うても下剤は下剤なので、それなりに辛さはある。腹の調子が本当に悪い時のそれよりは楽ではあるのだが、一定の頻度でトイレにこもる必要があるという意味では普通にしんどい。ちなみに便利なもので、腸内がクリーンな状態になったかを、排泄物の写真で判定してくれるアプリがある。これで星3つが出たかを確認されるプロセスがあり、なるほどいまどきだなと思った。

出すとこ出して空になったら、歩いてクリニックに行けそうかい、と思って出発したのだが、直後に強烈な便意に襲われてドラッグストアに駆け込むというイベントが発生した。出し切ったと思ってからが本番、という教訓を得た。

で、着替えて検査室に入り、ベッドに横たわって点滴から鎮静剤を入れられた。この鎮静剤の効き方が胃カメラの時とやや違って、意識がだいぶ残っている感じがあった。いま内視鏡が入ってきているな、という感覚が結構如実にある。とはいえそこからすっと意識はなくなり、次の記憶は安静室で看護師さんに起こされているところになっている。

着替えて待合室に行ってくださいと言われた時に、看護師さんが結果表的なものを見ては「あれ、何もないですね」と言ってきた。つまりこれはポリープが取られていない=手術給付金が出ない、ということだと察して、強烈な不安が押し寄せてきた。

ドクターとの結果説明で最終的に告げられたのは「ポリープもない、組織検査も不要、痔はありますね」だった。痔なの知ってた〜〜〜〜、という気持ちで聞いていた。薬出しましょうかと言われたので、反射的にお願いしますと答えてしまった。

結局100%自己負担+痔の薬剤代として、まあSwitch 2が買えるくらいの出費にはなった。が、健康的な大腸ということがわかったので、安心料としては悪くない。最後に「次はいつ来たらいいですか?」と聞いたら3年後でOKとのことだったので、また3年後お会いしましょう。

「戦時と平時」の話は束ねる側に立つと構造が変わる

複数の事業やチームを束ねる立場になったことで、マネジメントに関する問いの形が変わることに気づいた。単一チームのマネージャーであれば自分のチームが戦時か平時かを判断し、それに応じて動き方を切り替えれば良い。これが、いわゆるmanager of managersになると、この動き方では足りなくなる。自分の配下には、リリース期限が迫り火を噴いているチームと、来期のロードマップを議論しているチームが同時に存在しうるからだ。

自分が戦時か平時かではなくて、戦時と平時が混在するポートフォリオをどうマネジメントするのか。これが束ねる側に課される本質的な問いだと考えている。

みんな大好きベン・ホロウィッツの『HARD THINGS』の中で戦時のCEOと平時のCEOを対比するくだりがある。この概念自体はちょいちょいみかけるので、チームマネジメントの文脈にも転用されていそう。戦時には優先順位を圧縮し、意思決定を引き取り、指揮命令系統を明確にする。平時には委譲し、育成し、仕組み化に投資する。どちらも正しいのだが、この議論はあくまで「ひとつの組織体がどちらのモードで動くか」という単一状態の話にみえる。

複数の事業を統括するポジションになって直面したのは、組織全体が一つの温度ではなく温度差を持った状態であることの難しさであった。事業Aは安定して収益を上げているが、事業Bはマーケットの急変に対応しなければならない。プロダクトXのチームは順調にスプリントを回しているが、プロダクトYのチームはリリース直前で重大な問題にぶちあたった。この混在を前にして自分は戦時のマネージャーとして振る舞うべきか、平時のマネージャーとして振る舞うべきかを問うのは、問いの解像度が低いんじゃないか。

束ねる側の3つの責務

で、責務は大きく3つに整理できると思っている。

ひとつ目が「状態判定」で、自分が見ている各チーム、各事業、各プロジェクトが、いまどういう状態にあるのかを見極める。Red・Yellow・Greenのようなラベリングで良いんだが、ちゃんと差分を認識できれば何でも良い。

ふたつ目は「リソース配分」で、ここでいうリソースはゲンナマやヘッドカウントだけじゃなくて、自分自身の具体的な時間、マインドシェア、意思決定に使うカロリーも含める。Redのチームにはゴリゴリ介入が必要だし、Greenのチームはフリーハンドにしておくことが重要みたいな話。俺達は自分自身の認知帯域が有限であるのを忘れがちである。

3つ目が「感染防止」。あまりこのテーマについて言及されているのを見たことがないんだが、結構重要じゃないですか? ある事業が危機的状況にあるとき、その緊張感や力強いオペレーションの色が他のチームにまで伝播してしまうことがある。全体会議で危機感を煽りすぎたり、全事業部のケイデンスを一律で引き上げたりすると、安定して回っていたチームまで不必要にインパクトが出てしまう。火事は延焼させないのが原則なので、組織運営もそれは同じであろう。

「気分は常に戦争」による副作用

言うて自分も気を抜くとだいたいが戦時として物事を考えてしまう傾向がある。複数の領域を見ているとどこかしらで必ず問題は起きているわけで、その問題に反応し続けていると全てが緊急案件に見えてくる。まあそれ自体一定の合理性があるとも思っていて、問題を早めに拾うこと自体は束ねる側の重要な仕事ではある。

とはいえ危機感を持つことと全体を危機的なものとして運用するのはまた別の話。

極端に言えば、Greenのチームにまでデイリーで進捗報告しろやって話にしちゃうと現場マネージャーは報告のための仕事に時間を取られ、本来やるべき育成や仕組み化が劣後する。平時にあるチームの良い状態を自ら壊しにいくことになる。

あとは、当然ながら自分自身がボトルネックになってくる。全チームに対して密に介入しようとすれば時間が足りなくなる。意思決定の速度と質が低下し、マネージャーは判断待ちで動けなくなる。委譲のために存在するマネージャーの機能を、自分自身が使わなくなってしまう。

放任という名の平時運営

逆サイドで言えば、平時の構えのまま統治を行うことにもリスクはある。現場に任せる、マネージャーを信頼する、というのは平時において当然正しい態度なのだが、戦時の兆候を見逃す原因にもなりうる。

尊重と放置は紙一重だと思っていて、マネージャーの自律性を重んじるあまり、チームのコンディション悪化を早めにとらまえられないことがある。目に見えるものが悪化し始めてもマネージャーからの報告を待ち、意思決定を引き取らず、局所的な戦時が全社的な課題にまで膨らんでから動くのだとすると、これは尊重ではなく単に状態を見ていないだけと言える。

平時の構えに長けていると、Greenなチームを良い感じに運営する能力は高い。しかし、YellowからRedへの遷移を察知する感度が鈍いのだとすれば、それはそれで問題になる。観測の精度が落ちていないかを定期的にチェックする仕組みを、自分自身に対して持っておくべきだと思う。

精神的なこと、これも技術のうち

では、複数の事業・チームを束ねる立場はどういう構えで動くべきか。自分なりの答えは、観測・介入・基盤整備を同じモードで扱わないこととしている。

観測は戦時寄りで行う。悪化の兆候、依存関係の詰まり、事故の臭い、マネージャーやメンバーの疲弊といったシグナルを拾い続けるために、警戒態勢は常に維持しておく。全体を緊急モードにするのとは違って、問題が大きくなる前に気づける状態を保ちたい。

介入は選択的に実施する。Redにはゴリッと入り、Yellowにはボトルネック除去を中心に関わり、Greenはフリーハンドにする。全事業部をおしなべて同じ密度で扱うのではなく、状態差に応じて非対称に扱う。自分の場合は、各事業の責任者と月次でレビューを回しつつ、毎週/隔週の1on1で温度を拾うようにしている。Redに近い領域があれば1on1の密度を上げるし、Greenであれば月次レビューで十分回る。この濃淡をあらかじめ決めておくことで、局所の戦時が全体に感染するのを防止したい。

基盤の仕事は平時の構えで進める。採用、育成、評価制度の整備、仕組み化、文化づくり。これらは戦時対応のテンションだとやりにくい。リンケージに入ってから「いまは平時だな」と思ったタイミングはトータル2〜3週間くらいしかないのだが、そのタイミングでValuesの再策定と評価制度の再設計をガッとやれたのは良かった。まあ本当はどこかが燃えているときほど、別のレイヤーでは平時の仕事を止めずに回すことが出来るのが望ましくて、ここを止めると、目の前の火は消せても同じ火が出やすい構造に戻るみたいなことになるんじゃないか。

常時警戒し、選択的に介入し、平時基盤を維持する。全体をひとつの温度で回すのではなく、温度差のある組織を前提に、見る強度と入る深さと積み上げる時間軸を切り分けていく。

濃淡を決めておく

結局のところ、どうなったらどう動くかが事前にデザインされているかどうかで、全体が一律の温度に引きずられるか否かが変わるという印象がある。都度都度その時の気分や場当たりで判断していると認知帯域はすぐに枯渇するし、枯渇した先に待っているのは全部緊急度MAXみたいな一律運営となる。観測は厳しく、介入は絞り、基盤は止めない、という原則を守るのが束ねる側の技術なのだと思っている。

劇場版 Onishi Half Century Conferenceで一席やってきた #onishi50

映画館でLTを観る、という体験がとにかく素晴らしかった。

はてなを辞めて以来の京都で、まず「ひゃくてんまんてん」のカレーラーメンを食べてからイベントに向かった。会場は映画館である。椅子が良い。ポップコーンとドリンクがある。視聴体験を最大化するために設計された環境でLTを浴びるのは格別だった。聞くところによると二条城が会場候補に挙がっていた可能性もあったらしく、「めっちゃ大政奉還やりて〜〜〜〜」という気持ちが抑えきれないので、何らかの機会で何らかあると良い。

で、自分もこのイベントでLTをした。経緯としては、2年くらい前に東京でonishiさんと飲んだ際に「50歳になったらイベントやるから何か話せ」と言われていたのがきっかけだ。家族との調整をつけてからonishi LT枠にエントリーするか、と思っていたのだが、気づけばnagayamaさんやchrisさんで枠が埋まり始めていて「重……」となってしまい、長らく放置していた。結局、ossan.fmのミートアップでonishiさんと直接会話する機会があり、改めてLTすることに決めた。

タイトルは「井の中の蛙、大西を知らず」。インターネットの話題をアレしたので、資料も内容も共有できることは何もない。ひとつだけ触れておくと、途中で「onishiさんにはWillがない」という話を入れた。まあ、極めて強度の高いWillはMustと見分けがつかない、みたいなことです。

とはいえ一番言いたかったのはそこではなくて、「最近はキャリアの中で影響を受けた人物としてonishiさんの名前を挙げるようになった」ということだった。これが伝えられただけで登壇した甲斐があるというものだ。

それにしても、多くの人たちが集まっていて、インターネットでしか知らなかった方々とも会話ができて本当に良いイベントだった。これはonishiさんが長い時間をかけて築きあげてきた資産で、自分はそれをお裾分けしてもらったんだと思っている。

ClaudianというObisidian内でClaude Codeを使えるプラグインを試している

Obsidian内でAIを使うにあたって、これまではObsidian Copilotを愛用してきた。OpenRouter経由でClaudeを呼び出し、ノートの要約や文章の推敲に活用していた。

最近の自分の中での整理として、AIモデルの使い分けがある。調査や壁打ち、考察、反論といった思考を広げる作業にはChatGPTを使う。一方で、ドキュメント修正やアウトライン作成といった「決まった形に落とし込む」作業にはClaudeの方が性に合っている。Claudeはプロンプト追従性が高く、指示に対して堅実に仕事をこなしてくれる感覚がある。

そんな折、別の観点からClaude本家に課金する機会があった。Coworkを試したかったのだ。その流れでClaude Codeもサブスクリプション経由で使うようになり、ふと思った。ObsidianからClaude Codeを直接呼び出せたら便利じゃないか、と。

調べてみると、まさにそれを実現するプラグインがあった。Claudianだ。

github.com

導入してみると、Obsidian Copilotよりもエディタ機能との統合が深いことがわかった。特に強力なのがインライン編集機能である。選択したテキストに対してピンポイントで指示を出し、修正案をdiffで確認してから適用できる。意図しない変更が入るリスクがなく、安心して任せられる。 Image from Gyazo Image from Gyazo

最近は音声入力を主体に執筆している。喋った内容をそのままテキスト化すると、どうしても誤字や言い淀みで荒れてしまう。その整形作業に手間取っていたのだが、Claudianならこの問題がかなり解消される。選択範囲に対してどんどん修正をかけていけるからだ。

ゼロから書くのではなく、まず喋って素材を作り、Claudeに整えさせる。この分業がスムーズになったことで、執筆効率が格段に上がった。

使い分けとしては、全体をざっと喋ったものをまとめて修正するときはプロンプトウィンドウから指示を出す。その後、所々追記したりピンポイントで直したい箇所はインライン編集を使う。この切り替えが比較的手数少なくできるのがClaudianの良さだと感じている。

当然だが、このエントリー自体Claudianを使って書いている。音声入力でバーっとしゃべったやつをClaudeに整えさせるという、まさにこのエントリーで話しているワークフローそのものをやっている。Claudeを褒めるような記事をClaude自身に整えさせている。非常にメタ構造になっているわけだが、便利なものは便利なので仕方なかろう。

携帯回線2026 ahamoにして21日後でギブアップ

年明けから回線の見直しを行い、投機的にデータ通信のメインをahamoにしてみてから3週間経ったわけだが、2023年比であまりにも品質が改善されておらず、この回線を使って生活ができている人ほんまにおるのか?と思うまでに至り、ギブアップ。

kiyo-shit.hatenablog.com

本当にありとあらゆるところで繋がらない。むしろ悪化してる感じさえある。有楽町線に乗ってると市ヶ谷付近で完全に死ぬんだけど、これって前からそうだったっけ?大井町の駅前とか、さして人がおらんのに全然繋がらなくて、笑ってしまった。

そうなってくると、2025年同様メイン回線をau回線主体で行くぞという話にはなるんだが、ここでpovoのままで行くのか、あるいはau本体の契約にするのかというところで考え直してみた。

2026年1月24日まで

回線種別 キャリア プラン
主回線 povo2.0 怒られが発生したらトッピングを買う
副回線1 ahamo 30GB
副回線2 au au Starlink Direct+

2026年1月25日から

回線種別 キャリア プラン
主回線 au 使い放題MAX+
副回線 楽天 980円のやつ

狙い

  • まず最初に思ったのは、昨年同様、povoで365日で100ナンボぐらいあるやつを一発買いして通年運用するっていうのがある
  • 一方、povoの弱いポイントでいうと、5G SAが使えない、au Starlink Directは別で契約する必要があるという2点がある
  • で、この2点はシンプルにpovoじゃなくてau側の契約にすれば解決するということがわかっている
  • これはauに限った話ではないと思うんだが、キャリア本体のプランって、なんかめちゃくちゃ分かりにくくしてあって、様々な理想的な割引が効くとこうなるやで、みたいなのしか書いてなくて、めっちゃだるいなと思いながら見ていた
  • auはスマートバリュー的なものをなんとかどうにかしたいという意気込みだけは感じるんだが、それは無視して、使い放題MAX+ってやつがハマってそうというのがある
  • 一方、子供が使っているiPhoneの回線もauなんで、どこかでそれはau IDをまとめると家族割は一応効くもんだと思っている
  • あと使い放題MAX+だと自動的にau Starlink Directがついてくるんで、これは解約した
  • サブ回線は究極何でもいいと思っており、LINEMOに戻そうとしていたんだが、eSIMのアクティベーションがどうしてもうまくいかず、eSIM再発行してもらっても全然通らないので、イラついて楽天モバイルにすることにした
  • 楽天モバイルは、それはそれで楽天モバイル契約をしていると、特定の店舗において楽天ポイントが多めに付与されるキャンペーンなどもちょいちょいあったりするので、トータルのエコシステムみたいなことを考えると、LINEMOは別にYモバイルと違ってLYPが無料になったりするわけではなくて、登録時のPayPayポイントキャンペーンぐらいのもんなので、総合的な経済的利点でいうと楽天モバイルでもええんかなというふうに考えている

携帯回線2025→2026

新年を迎えたので携帯電話の回線を下記のように変更した。

2025年の運用

回線種別 キャリア プラン
主回線 povo2.0 300GB/365日
副回線 LINEMO 980円のやつ

2026年の運用

回線種別 キャリア プラン
主回線 povo2.0 怒られが発生したらトッピングを買う
副回線1 ahamo 30GB
副回線2 au au Starlink Direct+

狙い

  • 2026年のテーマを「いつでもpovo2.0をメインに戻せる構成」とした
  • povo2.0は回線品質的には申し分なしで、去年一年を通して不満を持つことはなかった
  • サブのLINEMOはPerplexity Proが付いてくるのが狙いで契約をしていたが、Perplexityを使わなくなったのでLINEMOである必要がなくなった
  • とした時にじゃあサブをなににすると良いか
  • まあahamoかな……
  • 2023年までは主回線をahamoにしていて、その回線品質の低さからpovoに移行した流れがある
  • ので、そもそも品質への期待値は低い
  • とはいえドコモとしては5G SAの基地局拡大はやっていきたかろう
  • 5G SAはahamoでも契約できる
  • 一方、povoに関しては、5G SAは今日現在のところ使えないことになっている
  • 当面はahamoを中心とした暮らしをしていって、あまりにもその品質に耐えきれなくなったら、データ通信をまたpovoに戻して、サブは適当なところにMNPをしたらよかろうと思っている
  • とにかく契約したいという気持ちだけで契約してしまった
  • 特に山を登るだとかキャンプをするような趣味がないので衛星通信のお世話になるケースはほぼないと言っても良い
  • しかし、何かあったときに、衛星通信を介してTwitterができるという可能性があるのであれば、これは契約しておかない理由もないなと思った
  • iPhoneは2つのSIMしかアクティブにできないので普段は後ろに下がっている状態でその時を待たせている

2025年ふりかえり

2025年の振り返りを、音声入力でねじ込む

2025年の振り返りエントリーを書くぞ、という気持ちはある。あるのだが、気づけばもう23時30分で、そこそこアルコールも入っている。いまからキーボードを叩いて「ちゃんとした文章」を作るのは無理だと判断したので、Aqua Voice に全部しゃべって、最後に ChatGPT に整形してもらう作戦にした。

もうね、マウスピースを口につけていて、いつでも寝られる状態である。こういうコンディションでもブログを出すのが、今年の自分の強みっぽい。

ということで、2025年をざっくり「仕事」と「プライベート」の二軸で振り返っていく。

仕事:採用の一年と、取締役としての一年

まずは仕事の話。私は株式会社リンケージという予防医療をやっている会社で、取締役のCPOみたいなことをしている。みたいなこと、というのは謙遜ではなくて、取締役の仕事と執行の仕事の境界が、まだ自分の中で完全に分離しきっていないからだ。

今年プロダクトとして何をやったか、という問いに素直に答えると、あまり「これだ」という手触りは残っていない。その代わりに、ずっと採用をやっていた、という感覚が強い。採用に時間を持っていかれた、というよりは、採用に時間を使うべきフェーズだった、という方が近い。

そして採用については、今年はわりと良い成果が出たと思っている。会社として新陳代謝が進み、強いメンバーが入ってきて、事業を前に進める上での重要な人材を、ちゃんと押さえられた実感がある。採用は成果が出るまでの時間が長いので、年末に「効いてきたな」と感じられたのは素直にうれしい。

経営と執行の分離、みたいなテーマは引き続きある。ただ、まだまだ執行領域に踏み込まないと前に進まない局面も多いし、その中でも「重要度も緊急度も高い」領域が残っている。ここはそーだいさんと一緒に、企業成長に向かってガッとやっていく、という気持ちでいる。

会社をプロダクトとして見たときにどうか、という話でいえば、制度設計にもちゃんと時間を使えた一年だった。評価制度の整備だけではなく、バリューの作り直しまで含めて、「会社のあるべき」を整える作業をやり切れたのは良かったと思う。制度は無くて済むなら無い方がいい派ではあるが、無いと困る局面が来るのもそれはそうで、どうせやるなら会社ごっこにならない形で、シンプルに運用できるものに寄せたかった。

「意思決定」を、ちゃんと自分の言葉にする

取締役としてフルイヤーで暮らすのは今年が初めてだった。去年のいつだったか、そーだいさんに「取締役なのに全然意思決定してねえじゃん」と言われたのが、ずっと引っかかっていた。

確かにそうだった。取締役になってすぐの頃は、これまでのサラリーマン人生の延長線上で暮らしていて、「役割が増えた」くらいの感覚で動いていた気がする。でも、取締役というのは社員とは切り離された立場で、より多くの社員の暮らしに責任を持つ側に立つ、ということでもある。

意思決定という言葉は軽く使われがちだが、意思を込めるのは案外難しい。けれど今年は、ひとつひとつの判断に対して、自分の意思を乗せる回数が増えたと思う。雑に流すのではなく、「ここで何を守るのか」「何を捨てるのか」を自分の言葉で引き受ける感じ。遅いと言われれば遅いのだが、変化が出てきたのは事実だと思っている。

ぼちぼち50も見えてくる年齢ではあるが、まだ成長する余地がある、というのを体感できた一年だった。そういう意味でも、2025年は悪くなかった。

ということで、優秀な人材はいつだって求めている。カジュアル面談などあれば、気軽に声をかけてください。

プライベート:毎月ブログを書いた

プライベートで言うと、何といっても「毎月ブログを書けた」のが一番大きい。大西さんが毎月ブログを書く、みたいなことを書いていたのを見て、ちょっと意識していた。

とはいえ、毎月書けていることに気づいたのは10月くらいだった。ノーヒットノーランをやっているピッチャーが、7回くらいで急に意識し始めるやつと近い。終盤になってから「あ、これいけるな」と思った感じがある。

結果として、通年で見ても、はてなブログを始めてから一番書いていたらしい。立場も立場なので、内容はポジショントークに寄りがちだし、仕事の話ばかり書いている自覚もある。それでも、書けたのは良い。

AIまわりの話も、5月の時点と今とで状況がけっこう変わっているので、来年の5月に「その時点のAIデッキ」のスナップショットを書こうと思っている。定点観測は、後から効いてくる。

はてなブログは、まだ全然終わっていない

あらたまさんといくおさんのアドベントカレンダーに参加させてもらって、ぎょっとしたことがある。はてなブログで書いている人が、めちゃくちゃ少ない。みんな note なんだな、という事実が刺さった。

ただ、私は引き続きはてなブログを使い続ける。たぶん死ぬまで使う。意地というより、身体に馴染んでしまっている。

今年読んでよかった本:『アンビシャス』

今年読んでよかった本は、なんといっても『アンビシャス』だった。読み終わってすぐに、そーだいさんに「これ読んでくれ」と強めに勧めたくらいには良かった。

札幌ドームからエスコンフィールドへの移転、その周辺にいる様々な人の人間模様が描かれていて、群像劇に近いノンフィクションとして面白い。登場人物が多いのに、どこかで自分のキャリアと接続してしまうポイントがあって、気持ちが入ったままシュッと読んでしまった。

そして、さっき書いた「意思を込める」みたいな話の重要さを、別の角度からもう一度突きつけられた感じもあった。おすすめです。

Agend のインタビューに出た

5月に Agend というフジイユウジさんのメディアでインタビューを掲載してもらったのも、今年の良かったことのひとつだ。自分の環境がやや特殊なところも含めて、いま考えていることをまとめてもらう場として良かったし、いろんな人に見てもらえた実感もある。

面白かったのは、インターネット上の反応はそこまで多くないのに、直接会った人から「めっちゃ真面目にいろんなこと喋ってますね」と言われることが何度もあったことだ。いや、それはインターネット上で書いてくれた方が私はうれしいのだが、と思いつつ、あの場をいただけたことには素直に感謝している。

フジイさん、ありがとうございました。

今年買ってよかったもの:AirPods Max と DARTSLIVE Home

今年買ってよかったもの、まずは AirPods Max。年始の Apple の初売りで買ったのだけど、今年はマジで使い倒した。家で仕事することが多く、ミーティングのときは基本これになった。

メガネをかけた状態でも装着感が良いのが助かる。ミーティング中はトランスパレンシーにして、自分の声がちゃんと返ってくるようにすると、変に大声にならずに済む。音楽を聴くときはノイキャンを効かせればいい。用途が分かれていて気持ちが良い。

USB-C のモデルにしたのだけど、USB 接続ならロスレス再生もできる。正直、買ってよかったものランキング上位である。

もうひとつは DARTSLIVE Home。1年くらいちゃんとダーツに行けなくて、ダーツバーも漫喫練習もできていない状態に、わりと強いストレスがあった。なのでプライムデーか何かのタイミングで買った。

オンラインマッチをするわけではなく、基本は黙々とカウントアップをやり続ける暮らしだったのだが、最近になって「ロボライバル」が意外と練習になることがわかった。いつでもどこでも対戦相手を呼び出してメドレーを回せるのは、効率の良いグローバルマッチみたいなもので、テンポを作る訓練になる。

自分が投げて、相手が投げる、という各ラウンドのペースを身体に入れられるのも良いし、ロボットがハットだのローだのを続けてくることで生まれるプレッシャーも、知らない人とマッチしたときのあの感じに近い。相手役としてかなり機能する。

ロボットはロボットなので、引き続き、好きなタイミングでダーツバーにも行って、ちゃんと大人の街に出るリハビリをしたい気持ちはある。それでも「いつでもダーツができる環境が家にある」というだけで、めちゃくちゃポジティブだ。買ってよかったものの2位と言っても差し支えない。

きちぴーナイトパーティーでDJをした

asumin に誘われて、吉祥寺.pm のアフターパーティーで DJ をすることになった。吉祥寺.pm は CfP を出したものの通らず、本編のチケット販売も完全に見逃して、アフターのためだけに吉祥寺に行き、終わったら帰るという「ただDJをしに行くおじさん」になった。

ただ、このDJは自分の中では良い準備と良い結果のセットだった。客層の雰囲気が全然わからない。テックカンファレンスの後に来る人たちだから、踊り狂う感じではなくて、酒を飲みながら喋ってるんだろう、という想定はあった。

なので、マイルドなテックハウス中心のセットと、もう少し雰囲気のあるハウス寄りのセットと、さらに上げ切る盛り上がりサイドのセット、ざっくり三段構えで準備していた。結果としては、一番盛り上がりサイドのルートを選べたのがめちゃくちゃ良かった。

この機会を作ってくれた方々、とくに asumin を筆頭に、選んでいただいてありがとうございました、という気持ちである。DJ は呼ばれたら行きます。渋いハウスからハードダンス、サイケデリックトランスからバキバキのアップリフティングまで対応可能なので、呼んでください。

2026年:ネットワーキングの解像度を上げる

2026年の振る舞いとしては、今年以上にネットワーキングを意識していこうと思っている。ここで言うネットワーキングは、ビジネスパーソンの集いに顔を出して名刺交換を回す、みたいなやつではない。人との交流を、いまより少し増やしていく、という意味である。

自分の見識を広げたいのもあるし、その見識を会社に還元する機会を、もう少し意識的に取らないといけないとも思っている。そーだいさんと一緒に、起業家や連続起業家、複数社の経営に関わってきた人たちと飲みに行く、みたいなアクティビティをしていく中で、その必要性をより強く感じた。

別に相手が経営者である必要はなくて、エンジニアリングマネージャーでもなんでもいい。自分と課題の目線が近そうな人たちと、ちゃんと喋って、情報交換できる機会を持ちたい。2026年はそこに手触りを作っていく。

おわりに

とりあえずこんなもんですかね。もう23時56分なので、そろそろこれを ChatGPT に流さないとブログが書けなそう、ということで、皆さんまた来年もよろしくお願いします。