大吉祥寺.pm 2026で26kg痩せた話をしてベストLT賞を頂いた

大吉祥寺.pm 2026に参加して、「摂理と合理の肉体改造」というLTをした。

発表資料はSpeaker Deckに公開している。

speakerdeck.com

id:magnoliakさんがナイスだから吉祥寺.pmはナイス

bashさんの「テックカンファレンス三大ステークホルダーの文化人類学」もナカミチさんの「論語・武士道・産業革命から見る かわるもの、かわらないもの」も、めちゃくちゃ良かった。

ビッグ主語だが、今年は全国的に「人としてナイスでありたい」という空気感が強くなっている気がする。

吉祥寺.pmというイベントというかコミュニティにそういうマインドの人たちが揃っているのがとても良いところなんだと思った。この空気にはid:magnoliakさんの振る舞いがかなり効いていると思う。

コミュニティは一人で作るものではない。それでも中心にいる人が何を面白がり、誰にどう感謝し、人へどう接するかは、その場の空気にかなり影響する。id:magnoliakさんがナイスだから、同じ空気を好む人たちが集まり、吉祥寺.pmもナイスなコミュニティになっている。

id:magnoliakさんをはじめ、この場を作った運営、登壇者、参加者のみなさんへ、ありがとうございました、という気持ちである。

去年の大吉祥寺.pmは本編のキャンセル待ちが取れなかった。結果、アフターパーティーでDJだけしに行くおじさんになってしまったので、今年はちゃんとLTができてよかった。

ベストLT賞

LTでは26kg減量した話をしたのだが、当日の朝にミニマムの体重を持ってこれたので偉い。

思いがけずベストLT賞を頂けた。人体を合理的にハックする話として評価してもらえたんだと思っている。

ありがとうございます。

ベストLT賞のTシャツも頂いた。

受賞後の一言コメントで、「どうやって痩せたかは有料noteにして荒稼ぎしようと思う」というジョークを放り込ませてもらったのだが、帰りの電車で「いや、たしかにそれはやってもいいかもしれんな???」と思い直した。

というわけで、荒稼ぎさせてもらいます。

それはそれとして、LT本編では名前しか出せなかったMacroFactorとHevyについて、なぜ使っているのかだけ補足しておく。

MacroFactorとHevy

食事管理にはMacroFactorを使っている。MyFitnessPalよりUIが妥当で、栄養成分表示のOCR、毎週の摂取カロリー調整、食事のコピペが使いやすい。

トレーニング管理はHevyである。Powerbeats Pro 2で取った心拍数を管理でき、共有URLをHermes Agentに喰わせればObsidianへの記録も終わる。

LTで話した「人体を合理的にハックする」の実態は、だいたいこういう地味な運用である。

実際に何を食べ、どういう有酸素運動をやって、どうトレーニングして26kg落としたのかは、有料noteで荒稼ぎするために取っておきます!!!!!!!

文体はプロンプトではなく、フィードバックループで守る

omokageという文体一致度を評価してくれるツールを見かけたので試してみた。 debimate.jp

以下がそれです。


AIに文章を書かせるとき、最初にやりがちなのは「自分の文体で書いて」と指示することである。自分の過去記事を読ませる。口調を指定する。よく使う言い回しや避けたい表現を書く。まあ、最初の足場としては普通に有効だと思う。

ただ、文体をプロンプトに預けると、だいたい本人からズレていく。

初回はそれっぽくなる。語尾も寄るし、言い回しも寄る。なんなら本人より本人っぽい誇張表現まで出してくる。でも何本か続けていると、文章が少しずつ平均化していく。正しい。読みやすい。構成も整っている。なのに「これは自分の文章ではない」という違和感が残る。

今この文章を書いているプロセスも、その実験である。Hermes AgentがいるDiscordのブログ用チャンネルに「idea: 文体はプロンプトではなく、フィードバックループで守る」と投げたら、AIが論点、想定読者、この記事で扱う価値、構成案に分解した。悪くない。ではそれをもとにdraftを作ってみてくれ、ということで、この文章が出ている。つまり、この記事のテーマそのものを、記事制作のプロセスで試している。素振りですな。

そして実際、一回目のdraftを読むと、すぐにいくつか引っかかるところがあった。意味は通るが自分が使わない比喩。文脈に対して過剰な但し書き。上品すぎる評価語。一回限りのネタを定型句のように扱う締め方。読者向けに親切すぎて、自分の考えを残す文章ではなくなっている感じ。

どれも一つひとつは小さい。文章全体が破綻するほどではない。むしろ、普通に読む分には気づかれないかもしれない。ただ、その小さいズレが積み重なると、自分が書いたことにしてよい文章から離れていく。自分にとってブログは、読者に何かを教える場というより、考えていることの置き場なので、ここがズレると結構困る。

AIの出力に対して人間が違和感を拾い、言語化し、次の出力に戻す。この一連の流れが、ここで言うフィードバックループである。文体におけるHuman-in-the-Loopと言ってもよい。大げさな話ではなく、この小さな違和感を拾って戻すことによって、文章が少しずつ本人側に寄っていく。

文体は語尾ではない

文体というと、まず語尾や言い回しの話になりがちである。「ですます調なのか、である調なのか」「短文が多いのか」「比喩を使うのか」「カジュアルなのか」みたいな話。もちろんそれも文体の一部ではある。ただ、そこだけを真似ると、かなり気持ち悪い文章になる。

本人っぽい語尾で、本人が言わなそうなことを言う文章。これが一番きつい。

文体の中核は、たぶん判断基準の方にある。何を疑うか。どこで言い切るか。どこで留保するか。何を過剰主張として落とすか。どの比喩なら残し、どの一般論なら捨てるか。何を「うまいけど薄い」と感じるか。

たとえばAIに「文体を守る記事」を書かせると、ありがちな出力はこうなる。

AI時代において、自分らしい文体を保つことは非常に重要です。単にプロンプトを工夫するだけではなく、継続的なフィードバックによって文章の質を高めていく必要があります。

まあ正しい。正しいんだけど、これを読んで何をすればいいのかはあまり残らない。なぜそれが難しいのか、どこで破綻するのか、どう運用すれば保てるのかが見えない。きれいな一般論であり、別に自分が書かなくてもよい文章である。

自分の場合、こういう文章を見ると「綺麗だけどカスだな」と感じる。構成は正しい。主張も間違ってはいない。でも、運用に落ちていない。後から読み返したときに、自分が何を考えていたのかを辿れない。そういう文章は、自分の名前で出す文章としては弱い。

これは口調の問題ではなく、判断の問題である。

プロンプトは初期設定でしかない

プロンプトに「自分らしく」と書くことはできる。「率直に」「運用に落とす」「AIっぽい表現を避ける」「後から読み返して思考の経路を辿れる文章にする」みたいに書く。これはやった方が良い。

ただ、それは初期設定であって、保守運用ではない。

ソフトウェアでも、最初に設定ファイルを書いたからといって、システムが永遠に良い状態で動き続けるわけではない。ログを見る。異常値を見る。バグを直す。使われ方に合わせて設定を変える。運用して初めて品質が保たれる。

文章も同じで、プロンプトを書いた瞬間に文体が固定されるわけではない。出力を読み、違和感を拾い、戻す。この繰り返しがないと、AIはだんだん「それっぽい平均」に寄っていく。そして、その平均はだいたい優等生である。きれいで、正しくて、毒が薄い。毒が薄いというか、面影が薄い。

良い例だけでは足りない

文体を守るとき、良い文章を集めるのは大事である。自分の過去記事をコーパスにする。公開したい文体だけを集める。会議メモやAI下書きは混ぜない。これはかなり重要だと思っている。混ぜると、何を再現したいのかが濁る。

ただ、良い例だけでは足りない。必要なのは拒否例である。

「これはうまい。でも自分ではない」 「この言い回しは寄せすぎていてキモい」 「この結論は一般論で終わっている」 「この比喩は便利だけど、自分の経験から出ていない」

こういう負例がないと、文体の境界線が引けない。人間の編集でも同じで、何を採用するかだけでなく、何を落とすかに本人性が出る。

AIに文章を書かせるときも、ここをちゃんと残す必要がある。採用した文章だけを保存すると、見た目の近さは上がるかもしれない。でも拒否の履歴がないと、なぜそれを落としたのかが次に伝わらない。文体とは、採用の履歴であると同時に、拒否の履歴でもある。

自分のブログレーンではこうしている

最近は、この作り方をブログ制作の小さな型にしている。idea: と書けば、思いつきが記事の種として整理される。draft: と書けば、そこから本文の初稿が返ってくる。

裏側では、過去の公開記事をstyle-corpus、つまり文体を見るための参照文章として置き、omokageという文体リンターで近さを見る。さらにblog judgeで、記事として通るか、AIっぽくないかを見る。

ここで大事なのは、omokageのスコアを品質判定にしないことである。

文体が近いことと、記事として面白いことは別問題である。Similarityが高くても、中身がゴミなら落とす。逆にスコアがそこまで高くなくても、主張が強く、実体験があり、自分の考え方がちゃんと残っているなら残してよい。

これは、AI文章制作を「プロンプト芸」ではなく「編集システム」として扱うという話でもある。プロンプトを書く。出力する。文体リンターを見る。記事ジャッジで落とす。違和感を言語化する。必要ならコーパスや評価基準を更新する。もう一度書く。ここまでやって初めて、文体が守られる。

文体保守ループはHITLである

ここでいうHITLは、ざっくり言うとこういう流れになる。

まず生成する。最初から完璧を狙わず、AIに一回書かせる。次に人間が違和感を拾う。「なんか違う」を流さない。語尾が違うのか、主張が弱いのか、例が借り物なのか、結論がきれいすぎるのかを見る。

その差分を言語化する。「もっと自分っぽく」ではなく、「この段落は一般論で、自分の運用経験がない」「この結論には自分の思考が残っていない」と書く。そして、拒否例を残す。通らなかった文章も資産である。むしろ文体の境界線を作るのは、通らなかった文章の方かもしれない。

最後に、評価基準とコーパスを更新する。良い例を増やすだけでなく、何を落とすかの基準を育てる。これを回す。

HITLというと「人間が確認しています」という安全装置っぽい言葉として使われがちだが、文章に関しては確認だけだと弱い。人間の違和感が、次の生成条件や評価基準に戻っていくところまで含めてループである。人間が毎回同じ赤入れをしているなら、それはHITLというより、ただの手戻りである。

めちゃくちゃ地味である。プロンプト一発で文体が完成する、みたいな魔法感はない。でも、実務としてはこっちの方が信用できる。

違和感を握りつぶさない

文体を守るというのは、毎回少し怒ることに近いのかもしれない。というより、違和感を握りつぶさないことに近い。

もちろん本当にキレ散らかすという意味ではない。出力に対して「まあこれでいいか」と流さないということ。自分の文章ではないものを、自分の文章として通さないこと。

AIが出してくる文章は、放っておくとどんどん無難になる。誰も傷つけないし、だいたい正しい。でも、そのままでは後から読み返しても、何を考えていたのか辿れない。

プロンプトは大事。でも、プロンプトは文体の憲法ではない。最初の設定であり、仮説であり、たたき台である。文体を守るのは、その後のループである。読み、違和感を拾い、落とし、直し、また書かせる。採用と拒否の履歴を積む。

AIに文章を書かせるというのは、文体を外注することではない。自分が何を良いとし、何をゴミとして落とすのか。その判断基準を、毎回少しずつ外部化していくことである。

なので、プロンプトだけでは足りない。人間が違和感を拾い、戻し、次の出力を変える。そのループが回っている限り、AIに書かせた文章でも、自分の考えとして残せる可能性がある。


Similarityは79。「こんな言い方はしねえな」っていうのはないかな。これに書いてある通り、Hermes Agentの中で校正する作業をやっていくと割と良い感じになりつつある。もうちょい練度は高めたい。こうやってどんどん下書きが溜まっていく。

まあそこまでしてAIに文章を書かせたいかというと全然そんなことはなくて、ある種の競技をやっているのに近い感覚である。

どちらか言えばダラダラと喋ったのをそれっぽい文章にしてくれるほうがよっぽど実用性はあるな。

社会が希望を持つ場所を探す

奇奇怪怪のTaiTanがホストしている超流通という(Video)Podcastの最新回のゲストがクラシコムの青木さんで、まだ前編だというのにとにかく全てが最高だったので絶対視聴して欲しい。

open.spotify.com

ちょっと前に界隈の方々とメシを食ってたときに「クラシコムは発信のチャネル選定が絶妙」という話で盛り上がったことがあったのだが、青木さんの話の中で一番引っかかったのはチャネル選定の話ではなかった。

SNSに張らずにPodcast、YouTube、アプリに張ったという判断自体もすごい。それ以上に頭に残ったのは「社会がそこに希望を持っているか」という見方。

いま人がたくさんいる場所、いま伸びている場所、いま数字が出ている場所。事業をやっていればそういう場所が気になるのは当然じゃないですか。が、人がいる場所と、人が希望を持っている場所は別物。

たくさん人がいるのに、そこに前向きな気持ちが残っていない場所がある。使わないと困る、いないと不利になる、やめたいけれどやめられない。そういう理由で人が集まっている場所もあるよな、という話。

事業やプロダクトを考えるとき、我々はついどこに人がいるかを見てしまう。どのチャネルのCPAがよいか、どのプラットフォームでリーチが取れるか、どこに広告を出せば効率よく獲得できるか。短期の成果を作るには効率のよい場所がいる。

しかし、長く残るものを作るときにはそれだけでは足りない。

見るべきなのはそこに人がいるかではなく、そこに人が希望を置けるか。

流行っている場所と、希望が置かれている場所は違う

流行っている場所には熱量がある。が、その熱量が希望から生まれているとは限らない。

焦り、不安、依存、比較、義務感。そういうものから生まれる熱量もある。SNSのタイムラインを眺めて最後に残るのが疲労感だけ、みたいな経験は誰にでもあるんじゃないか。なんならいままさにそういう空気が支配的と言える。

一方、まだ大きくはないが、人がそこに自分の時間を預けたいと思える場所がある。数字にはならないが、居心地がよく、自分のために用意されていると感じられる場所。そこで過ごすことで、自分の生活や仕事の手触りを少し取り戻せる。

こういう場所は初期には効率が悪く見える。リーチも獲得効率も出ない。社内で説明するのも難しい。

それでも時間をかけて蓄積されると、後から強い資産になる。コンテンツ、コミュニティ、イベント、プロダクト、採用広報、社内制度。領域は何でもいい。最初から事業計画の主要施策として立派な顔をしていることの方が稀である。

最初は小さな違和感、説明しづらい面白さとして現れる方が多い。

種は、芽が出るまで種だとわからない

新しい取り組みを評価するのは難しい。次の成長機会につながる取り組みは、最初からそれが種だとはわからない。芽が出て、茎が伸びて、何かの形になって、ようやく「あれは種だったんですな」とわかる。

だから、探索を短期ROIだけで評価するとかなりのものが早く死ぬ。

一方で、すぐに成果が出ないから探索です、と言えば何でも許されるわけでもない。ただの趣味や散漫さにもなる。自分にも心当たりがあるので強く言えないが、大事なのはどの違和感に張るかだ。

なぜか気になる人。なぜか残る言葉。なぜかまた行きたくなる場所。まだ説明できないが、後から効いてきそうな座組。事業上の意味をきれいに説明できないが、何かがありそうな感覚。

そういうものを完全には捨てずに持っておく。ただし、何でも持つのではなく、自分たちの主観に照らして残るものだけを残す。

これは予測ではなく意思。未来を当てることではなく、自分たちは何に張るのかを決めるということ。

主観を守るには、構造が必要になる

主観は気合いだけでは守れない。

自分たちはこれがよいと思う、この方向に張りたい、短期的には非効率でも、長く見れば意味がある。そう思っていても、財務に余裕がなければ続けられない。組織が短期成果だけで評価されていれば、誰もやらなくなる。チャネルに依存しすぎていれば、外部環境に振り回される。ステークホルダーとの関係が弱ければ、説明できない活動から削られていく。

だから、主観を守るには構造が要る。彼等が言う「プロテクト」だ。守りのように聞こえるが、要は攻め続けるための条件設計。

open.spotify.com

自由にやるためには、自由を守る構造がいる。長く続けるためには、長く続けられる財務と組織がいる。一貫性を保つためには、短期合理性に飲まれないだけの余白がいる。

欲張らないこともその一部。成長しないという話ではなく、広げる速度を間違えないという話。欲張りすぎると守るべきものが壊れる。守りすぎると何も広がらない。

このバランスを取り続けることが経営やプロダクトの仕事である。

考察しすぎると、本当のことが見えなくなる

我々は考察することに慣れすぎている。市場環境を分析し、顧客インサイトを整理し、トレンドを読み、競合を比較し、ペルソナを作り、AIに壁打ちしてもっともらしい仮説を並べる。

有用なのは間違いない。自分自身も日常的にやっている。

しかし、分析は主観の代わりにはならない。なぜこれが伸びるのか、なぜ今この市場なのか、なぜこのチャネルなのか。そういう問いに答え続けているうちに、自分たちが何をよいと思っているのかが薄くなっていく。

もっともらしい理由は後からいくらでも作れる。AI時代にはそれっぽい戦略、それっぽいインサイト、それっぽいナラティブはいくらでも生成できてしまうじゃないですか。

だからこそ最後に残るのは主観なんだと思う。

自分たちは何をよいと思うのか。誰のどんな時間を少し良くしたいのか。どんな状態が増えることを心から望ましいと思えるのか。ここを引き受けないまま考察だけを積むと空洞化する。

社会が希望を持つ場所を探す

経営やプロダクトの仕事は未来を当てることではない。

予測はそれはそれで必要。市場規模、顧客課題、競争環境、採算性。これらを見ずに進めるのは無責任。が、予測だけでは前に進めない。

どこに張るのか。何を守るのか。どの非効率を引き受けるのか。どの小さな違和感を捨てずに持っておくのか。そこには意思がいる。

社会が希望を持つ場所を探す、というのは綺麗な言葉に聞こえる。が、実際にはかなり泥臭い仕事ですな。

まだ数字にならないものを見る。まだ説明しきれないものを続ける。短期合理性に負けないように守る。同時に、ただの趣味や自己満足にならないよう現実の事業や組織に接続する。

希望は放っておいて見つかるものではない。観察し、試し、守り、続けることで、ようやく輪郭が見えてくる。

流行っている場所に行くのではなく、社会が次に希望を置ける場所を探す。その場所は、最初は狭く、効率が悪く、説明しづらい。しかし、長く残るものはそういう場所からしか生まれない。

大腸内視鏡検査を受けたら痔の薬を処方された話を聞いてください

大腸内視鏡検査を受けてきた。結論から言うと、癌もポリープもなかった。あったのは痔だった。痔なのは以前から知っていた。

きっかけはいくつかある。昨年11月に大学時代の先輩が肺癌で亡くなったのだが、3〜4年前に「大腸がんになっちゃったんだよね〜〜〜」とさらっと告げられて返す言葉を失ったことがあり、あれが転移したのかもしれないという話だった。 それ以外でも大腸を切除したという別の先輩の話も聞こえてきたりしたので、大腸内視鏡を受けておいた方がよさそうだな、という気運が自分の中でじわじわ高まっていた。

そんな折、会社の顧問の皆様方とキックオフの懇親会で飲んでいたら、やはり大腸内視鏡の話題になった。ポリープを切除すると保険適用になるし、手術扱いになるから医療保険の手術給付金も出る、やっといた方がいいよ、という勧めがあった。ossan.fmを聞いていたらnagayamaさんも受けてポリープを切除した、というくだりがあり、これはもうタイミングだろうと思った。

パッと予約を取ろうとしたら、なんと12月の時点で3月頭まで予定が完全に埋まっていた。実質タダで内視鏡検査が受けられるならみんな受けに行くわなぁ、と納得しつつ3月上旬にようやく枠を取った。

検査の2週間前に事前診察でクリニックへ。ドクターから検査内容や注意点のヒアリングがあり、続いて看護師さんから食事制限の説明を受けた。前日は検査食をひたすら食べ、前々日はキノコ・根菜・海藻を避け、前日は乳製品も取らないでほしい、とのこと。そこでギョッとして「プロテインも乳製品ですか?」というしょうもない質問をしてしまった。

前日の朝食で検査食の一食目を食べていたら、子供から「まずそう」という率直なフィードバックをいただいた。こっちはうまいまずいとかそういうレベルでプレイしてねえから、と思いました。

あと、腹が減ったら透明な飴を舐めていいと言われていたのだが、透明な飴と言われて思いつくのは黄金糖くらいしかなく、黄金糖ライクなものを1日舐めて暮らしていた。氷砂糖でもよかったらしいのだが、最寄りのスーパーにはデカいサイズのものしかなかったので諦めた。

当日は朝から液体の下剤と水をガブ飲みし続けることになる。レモン味と梅味どちらがいいですかと聞かれて、反射的に「どっちが出ますか?」と聞いてしまったのだが、「どっちも変わらないです」と返ってきて、まあそれはそう。

言うても下剤は下剤なので、それなりに辛さはある。腹の調子が本当に悪い時のそれよりは楽ではあるのだが、一定の頻度でトイレにこもる必要があるという意味では普通にしんどい。ちなみに便利なもので、腸内がクリーンな状態になったかを、排泄物の写真で判定してくれるアプリがある。これで星3つが出たかを確認されるプロセスがあり、なるほどいまどきだなと思った。

出すとこ出して空になったら、歩いてクリニックに行けそうかい、と思って出発したのだが、直後に強烈な便意に襲われてドラッグストアに駆け込むというイベントが発生した。出し切ったと思ってからが本番、という教訓を得た。

で、着替えて検査室に入り、ベッドに横たわって点滴から鎮静剤を入れられた。この鎮静剤の効き方が胃カメラの時とやや違って、意識がだいぶ残っている感じがあった。いま内視鏡が入ってきているな、という感覚が結構如実にある。とはいえそこからすっと意識はなくなり、次の記憶は安静室で看護師さんに起こされているところになっている。

着替えて待合室に行ってくださいと言われた時に、看護師さんが結果表的なものを見ては「あれ、何もないですね」と言ってきた。つまりこれはポリープが取られていない=手術給付金が出ない、ということだと察して、強烈な不安が押し寄せてきた。

ドクターとの結果説明で最終的に告げられたのは「ポリープもない、組織検査も不要、痔はありますね」だった。痔なの知ってた〜〜〜〜、という気持ちで聞いていた。薬出しましょうかと言われたので、反射的にお願いしますと答えてしまった。

結局100%自己負担+痔の薬剤代として、まあSwitch 2が買えるくらいの出費にはなった。が、健康的な大腸ということがわかったので、安心料としては悪くない。最後に「次はいつ来たらいいですか?」と聞いたら3年後でOKとのことだったので、また3年後お会いしましょう。

「戦時と平時」の話は束ねる側に立つと構造が変わる

複数の事業やチームを束ねる立場になったことで、マネジメントに関する問いの形が変わることに気づいた。単一チームのマネージャーであれば自分のチームが戦時か平時かを判断し、それに応じて動き方を切り替えれば良い。これが、いわゆるmanager of managersになると、この動き方では足りなくなる。自分の配下には、リリース期限が迫り火を噴いているチームと、来期のロードマップを議論しているチームが同時に存在しうるからだ。

自分が戦時か平時かではなくて、戦時と平時が混在するポートフォリオをどうマネジメントするのか。これが束ねる側に課される本質的な問いだと考えている。

みんな大好きベン・ホロウィッツの『HARD THINGS』の中で戦時のCEOと平時のCEOを対比するくだりがある。この概念自体はちょいちょいみかけるので、チームマネジメントの文脈にも転用されていそう。戦時には優先順位を圧縮し、意思決定を引き取り、指揮命令系統を明確にする。平時には委譲し、育成し、仕組み化に投資する。どちらも正しいのだが、この議論はあくまで「ひとつの組織体がどちらのモードで動くか」という単一状態の話にみえる。

複数の事業を統括するポジションになって直面したのは、組織全体が一つの温度ではなく温度差を持った状態であることの難しさであった。事業Aは安定して収益を上げているが、事業Bはマーケットの急変に対応しなければならない。プロダクトXのチームは順調にスプリントを回しているが、プロダクトYのチームはリリース直前で重大な問題にぶちあたった。この混在を前にして自分は戦時のマネージャーとして振る舞うべきか、平時のマネージャーとして振る舞うべきかを問うのは、問いの解像度が低いんじゃないか。

束ねる側の3つの責務

で、責務は大きく3つに整理できると思っている。

ひとつ目が「状態判定」で、自分が見ている各チーム、各事業、各プロジェクトが、いまどういう状態にあるのかを見極める。Red・Yellow・Greenのようなラベリングで良いんだが、ちゃんと差分を認識できれば何でも良い。

ふたつ目は「リソース配分」で、ここでいうリソースはゲンナマやヘッドカウントだけじゃなくて、自分自身の具体的な時間、マインドシェア、意思決定に使うカロリーも含める。Redのチームにはゴリゴリ介入が必要だし、Greenのチームはフリーハンドにしておくことが重要みたいな話。俺達は自分自身の認知帯域が有限であるのを忘れがちである。

3つ目が「感染防止」。あまりこのテーマについて言及されているのを見たことがないんだが、結構重要じゃないですか? ある事業が危機的状況にあるとき、その緊張感や力強いオペレーションの色が他のチームにまで伝播してしまうことがある。全体会議で危機感を煽りすぎたり、全事業部のケイデンスを一律で引き上げたりすると、安定して回っていたチームまで不必要にインパクトが出てしまう。火事は延焼させないのが原則なので、組織運営もそれは同じであろう。

「気分は常に戦争」による副作用

言うて自分も気を抜くとだいたいが戦時として物事を考えてしまう傾向がある。複数の領域を見ているとどこかしらで必ず問題は起きているわけで、その問題に反応し続けていると全てが緊急案件に見えてくる。まあそれ自体一定の合理性があるとも思っていて、問題を早めに拾うこと自体は束ねる側の重要な仕事ではある。

とはいえ危機感を持つことと全体を危機的なものとして運用するのはまた別の話。

極端に言えば、Greenのチームにまでデイリーで進捗報告しろやって話にしちゃうと現場マネージャーは報告のための仕事に時間を取られ、本来やるべき育成や仕組み化が劣後する。平時にあるチームの良い状態を自ら壊しにいくことになる。

あとは、当然ながら自分自身がボトルネックになってくる。全チームに対して密に介入しようとすれば時間が足りなくなる。意思決定の速度と質が低下し、マネージャーは判断待ちで動けなくなる。委譲のために存在するマネージャーの機能を、自分自身が使わなくなってしまう。

放任という名の平時運営

逆サイドで言えば、平時の構えのまま統治を行うことにもリスクはある。現場に任せる、マネージャーを信頼する、というのは平時において当然正しい態度なのだが、戦時の兆候を見逃す原因にもなりうる。

尊重と放置は紙一重だと思っていて、マネージャーの自律性を重んじるあまり、チームのコンディション悪化を早めにとらまえられないことがある。目に見えるものが悪化し始めてもマネージャーからの報告を待ち、意思決定を引き取らず、局所的な戦時が全社的な課題にまで膨らんでから動くのだとすると、これは尊重ではなく単に状態を見ていないだけと言える。

平時の構えに長けていると、Greenなチームを良い感じに運営する能力は高い。しかし、YellowからRedへの遷移を察知する感度が鈍いのだとすれば、それはそれで問題になる。観測の精度が落ちていないかを定期的にチェックする仕組みを、自分自身に対して持っておくべきだと思う。

精神的なこと、これも技術のうち

では、複数の事業・チームを束ねる立場はどういう構えで動くべきか。自分なりの答えは、観測・介入・基盤整備を同じモードで扱わないこととしている。

観測は戦時寄りで行う。悪化の兆候、依存関係の詰まり、事故の臭い、マネージャーやメンバーの疲弊といったシグナルを拾い続けるために、警戒態勢は常に維持しておく。全体を緊急モードにするのとは違って、問題が大きくなる前に気づける状態を保ちたい。

介入は選択的に実施する。Redにはゴリッと入り、Yellowにはボトルネック除去を中心に関わり、Greenはフリーハンドにする。全事業部をおしなべて同じ密度で扱うのではなく、状態差に応じて非対称に扱う。自分の場合は、各事業の責任者と月次でレビューを回しつつ、毎週/隔週の1on1で温度を拾うようにしている。Redに近い領域があれば1on1の密度を上げるし、Greenであれば月次レビューで十分回る。この濃淡をあらかじめ決めておくことで、局所の戦時が全体に感染するのを防止したい。

基盤の仕事は平時の構えで進める。採用、育成、評価制度の整備、仕組み化、文化づくり。これらは戦時対応のテンションだとやりにくい。リンケージに入ってから「いまは平時だな」と思ったタイミングはトータル2〜3週間くらいしかないのだが、そのタイミングでValuesの再策定と評価制度の再設計をガッとやれたのは良かった。まあ本当はどこかが燃えているときほど、別のレイヤーでは平時の仕事を止めずに回すことが出来るのが望ましくて、ここを止めると、目の前の火は消せても同じ火が出やすい構造に戻るみたいなことになるんじゃないか。

常時警戒し、選択的に介入し、平時基盤を維持する。全体をひとつの温度で回すのではなく、温度差のある組織を前提に、見る強度と入る深さと積み上げる時間軸を切り分けていく。

濃淡を決めておく

結局のところ、どうなったらどう動くかが事前にデザインされているかどうかで、全体が一律の温度に引きずられるか否かが変わるという印象がある。都度都度その時の気分や場当たりで判断していると認知帯域はすぐに枯渇するし、枯渇した先に待っているのは全部緊急度MAXみたいな一律運営となる。観測は厳しく、介入は絞り、基盤は止めない、という原則を守るのが束ねる側の技術なのだと思っている。

劇場版 Onishi Half Century Conferenceで一席やってきた #onishi50

映画館でLTを観る、という体験がとにかく素晴らしかった。

はてなを辞めて以来の京都で、まず「ひゃくてんまんてん」のカレーラーメンを食べてからイベントに向かった。会場は映画館である。椅子が良い。ポップコーンとドリンクがある。視聴体験を最大化するために設計された環境でLTを浴びるのは格別だった。聞くところによると二条城が会場候補に挙がっていた可能性もあったらしく、「めっちゃ大政奉還やりて〜〜〜〜」という気持ちが抑えきれないので、何らかの機会で何らかあると良い。

で、自分もこのイベントでLTをした。経緯としては、2年くらい前に東京でonishiさんと飲んだ際に「50歳になったらイベントやるから何か話せ」と言われていたのがきっかけだ。家族との調整をつけてからonishi LT枠にエントリーするか、と思っていたのだが、気づけばnagayamaさんやchrisさんで枠が埋まり始めていて「重……」となってしまい、長らく放置していた。結局、ossan.fmのミートアップでonishiさんと直接会話する機会があり、改めてLTすることに決めた。

タイトルは「井の中の蛙、大西を知らず」。インターネットの話題をアレしたので、資料も内容も共有できることは何もない。ひとつだけ触れておくと、途中で「onishiさんにはWillがない」という話を入れた。まあ、極めて強度の高いWillはMustと見分けがつかない、みたいなことです。

とはいえ一番言いたかったのはそこではなくて、「最近はキャリアの中で影響を受けた人物としてonishiさんの名前を挙げるようになった」ということだった。これが伝えられただけで登壇した甲斐があるというものだ。

それにしても、多くの人たちが集まっていて、インターネットでしか知らなかった方々とも会話ができて本当に良いイベントだった。これはonishiさんが長い時間をかけて築きあげてきた資産で、自分はそれをお裾分けしてもらったんだと思っている。

ClaudianというObisidian内でClaude Codeを使えるプラグインを試している

Obsidian内でAIを使うにあたって、これまではObsidian Copilotを愛用してきた。OpenRouter経由でClaudeを呼び出し、ノートの要約や文章の推敲に活用していた。

最近の自分の中での整理として、AIモデルの使い分けがある。調査や壁打ち、考察、反論といった思考を広げる作業にはChatGPTを使う。一方で、ドキュメント修正やアウトライン作成といった「決まった形に落とし込む」作業にはClaudeの方が性に合っている。Claudeはプロンプト追従性が高く、指示に対して堅実に仕事をこなしてくれる感覚がある。

そんな折、別の観点からClaude本家に課金する機会があった。Coworkを試したかったのだ。その流れでClaude Codeもサブスクリプション経由で使うようになり、ふと思った。ObsidianからClaude Codeを直接呼び出せたら便利じゃないか、と。

調べてみると、まさにそれを実現するプラグインがあった。Claudianだ。

github.com

導入してみると、Obsidian Copilotよりもエディタ機能との統合が深いことがわかった。特に強力なのがインライン編集機能である。選択したテキストに対してピンポイントで指示を出し、修正案をdiffで確認してから適用できる。意図しない変更が入るリスクがなく、安心して任せられる。 Image from Gyazo Image from Gyazo

最近は音声入力を主体に執筆している。喋った内容をそのままテキスト化すると、どうしても誤字や言い淀みで荒れてしまう。その整形作業に手間取っていたのだが、Claudianならこの問題がかなり解消される。選択範囲に対してどんどん修正をかけていけるからだ。

ゼロから書くのではなく、まず喋って素材を作り、Claudeに整えさせる。この分業がスムーズになったことで、執筆効率が格段に上がった。

使い分けとしては、全体をざっと喋ったものをまとめて修正するときはプロンプトウィンドウから指示を出す。その後、所々追記したりピンポイントで直したい箇所はインライン編集を使う。この切り替えが比較的手数少なくできるのがClaudianの良さだと感じている。

当然だが、このエントリー自体Claudianを使って書いている。音声入力でバーっとしゃべったやつをClaudeに整えさせるという、まさにこのエントリーで話しているワークフローそのものをやっている。Claudeを褒めるような記事をClaude自身に整えさせている。非常にメタ構造になっているわけだが、便利なものは便利なので仕方なかろう。

携帯回線2026 ahamoにして21日後でギブアップ

年明けから回線の見直しを行い、投機的にデータ通信のメインをahamoにしてみてから3週間経ったわけだが、2023年比であまりにも品質が改善されておらず、この回線を使って生活ができている人ほんまにおるのか?と思うまでに至り、ギブアップ。

kiyo-shit.hatenablog.com

本当にありとあらゆるところで繋がらない。むしろ悪化してる感じさえある。有楽町線に乗ってると市ヶ谷付近で完全に死ぬんだけど、これって前からそうだったっけ?大井町の駅前とか、さして人がおらんのに全然繋がらなくて、笑ってしまった。

そうなってくると、2025年同様メイン回線をau回線主体で行くぞという話にはなるんだが、ここでpovoのままで行くのか、あるいはau本体の契約にするのかというところで考え直してみた。

2026年1月24日まで

回線種別 キャリア プラン
主回線 povo2.0 怒られが発生したらトッピングを買う
副回線1 ahamo 30GB
副回線2 au au Starlink Direct+

2026年1月25日から

回線種別 キャリア プラン
主回線 au 使い放題MAX+
副回線 楽天 980円のやつ

狙い

  • まず最初に思ったのは、昨年同様、povoで365日で100ナンボぐらいあるやつを一発買いして通年運用するっていうのがある
  • 一方、povoの弱いポイントでいうと、5G SAが使えない、au Starlink Directは別で契約する必要があるという2点がある
  • で、この2点はシンプルにpovoじゃなくてau側の契約にすれば解決するということがわかっている
  • これはauに限った話ではないと思うんだが、キャリア本体のプランって、なんかめちゃくちゃ分かりにくくしてあって、様々な理想的な割引が効くとこうなるやで、みたいなのしか書いてなくて、めっちゃだるいなと思いながら見ていた
  • auはスマートバリュー的なものをなんとかどうにかしたいという意気込みだけは感じるんだが、それは無視して、使い放題MAX+ってやつがハマってそうというのがある
  • 一方、子供が使っているiPhoneの回線もauなんで、どこかでそれはau IDをまとめると家族割は一応効くもんだと思っている
  • あと使い放題MAX+だと自動的にau Starlink Directがついてくるんで、これは解約した
  • サブ回線は究極何でもいいと思っており、LINEMOに戻そうとしていたんだが、eSIMのアクティベーションがどうしてもうまくいかず、eSIM再発行してもらっても全然通らないので、イラついて楽天モバイルにすることにした
  • 楽天モバイルは、それはそれで楽天モバイル契約をしていると、特定の店舗において楽天ポイントが多めに付与されるキャンペーンなどもちょいちょいあったりするので、トータルのエコシステムみたいなことを考えると、LINEMOは別にYモバイルと違ってLYPが無料になったりするわけではなくて、登録時のPayPayポイントキャンペーンぐらいのもんなので、総合的な経済的利点でいうと楽天モバイルでもええんかなというふうに考えている

携帯回線2025→2026

新年を迎えたので携帯電話の回線を下記のように変更した。

2025年の運用

回線種別 キャリア プラン
主回線 povo2.0 300GB/365日
副回線 LINEMO 980円のやつ

2026年の運用

回線種別 キャリア プラン
主回線 povo2.0 怒られが発生したらトッピングを買う
副回線1 ahamo 30GB
副回線2 au au Starlink Direct+

狙い

  • 2026年のテーマを「いつでもpovo2.0をメインに戻せる構成」とした
  • povo2.0は回線品質的には申し分なしで、去年一年を通して不満を持つことはなかった
  • サブのLINEMOはPerplexity Proが付いてくるのが狙いで契約をしていたが、Perplexityを使わなくなったのでLINEMOである必要がなくなった
  • とした時にじゃあサブをなににすると良いか
  • まあahamoかな……
  • 2023年までは主回線をahamoにしていて、その回線品質の低さからpovoに移行した流れがある
  • ので、そもそも品質への期待値は低い
  • とはいえドコモとしては5G SAの基地局拡大はやっていきたかろう
  • 5G SAはahamoでも契約できる
  • 一方、povoに関しては、5G SAは今日現在のところ使えないことになっている
  • 当面はahamoを中心とした暮らしをしていって、あまりにもその品質に耐えきれなくなったら、データ通信をまたpovoに戻して、サブは適当なところにMNPをしたらよかろうと思っている
  • とにかく契約したいという気持ちだけで契約してしまった
  • 特に山を登るだとかキャンプをするような趣味がないので衛星通信のお世話になるケースはほぼないと言っても良い
  • しかし、何かあったときに、衛星通信を介してTwitterができるという可能性があるのであれば、これは契約しておかない理由もないなと思った
  • iPhoneは2つのSIMしかアクティブにできないので普段は後ろに下がっている状態でその時を待たせている

2025年ふりかえり

2025年の振り返りを、音声入力でねじ込む

2025年の振り返りエントリーを書くぞ、という気持ちはある。あるのだが、気づけばもう23時30分で、そこそこアルコールも入っている。いまからキーボードを叩いて「ちゃんとした文章」を作るのは無理だと判断したので、Aqua Voice に全部しゃべって、最後に ChatGPT に整形してもらう作戦にした。

もうね、マウスピースを口につけていて、いつでも寝られる状態である。こういうコンディションでもブログを出すのが、今年の自分の強みっぽい。

ということで、2025年をざっくり「仕事」と「プライベート」の二軸で振り返っていく。

仕事:採用の一年と、取締役としての一年

まずは仕事の話。私は株式会社リンケージという予防医療をやっている会社で、取締役のCPOみたいなことをしている。みたいなこと、というのは謙遜ではなくて、取締役の仕事と執行の仕事の境界が、まだ自分の中で完全に分離しきっていないからだ。

今年プロダクトとして何をやったか、という問いに素直に答えると、あまり「これだ」という手触りは残っていない。その代わりに、ずっと採用をやっていた、という感覚が強い。採用に時間を持っていかれた、というよりは、採用に時間を使うべきフェーズだった、という方が近い。

そして採用については、今年はわりと良い成果が出たと思っている。会社として新陳代謝が進み、強いメンバーが入ってきて、事業を前に進める上での重要な人材を、ちゃんと押さえられた実感がある。採用は成果が出るまでの時間が長いので、年末に「効いてきたな」と感じられたのは素直にうれしい。

経営と執行の分離、みたいなテーマは引き続きある。ただ、まだまだ執行領域に踏み込まないと前に進まない局面も多いし、その中でも「重要度も緊急度も高い」領域が残っている。ここはそーだいさんと一緒に、企業成長に向かってガッとやっていく、という気持ちでいる。

会社をプロダクトとして見たときにどうか、という話でいえば、制度設計にもちゃんと時間を使えた一年だった。評価制度の整備だけではなく、バリューの作り直しまで含めて、「会社のあるべき」を整える作業をやり切れたのは良かったと思う。制度は無くて済むなら無い方がいい派ではあるが、無いと困る局面が来るのもそれはそうで、どうせやるなら会社ごっこにならない形で、シンプルに運用できるものに寄せたかった。

「意思決定」を、ちゃんと自分の言葉にする

取締役としてフルイヤーで暮らすのは今年が初めてだった。去年のいつだったか、そーだいさんに「取締役なのに全然意思決定してねえじゃん」と言われたのが、ずっと引っかかっていた。

確かにそうだった。取締役になってすぐの頃は、これまでのサラリーマン人生の延長線上で暮らしていて、「役割が増えた」くらいの感覚で動いていた気がする。でも、取締役というのは社員とは切り離された立場で、より多くの社員の暮らしに責任を持つ側に立つ、ということでもある。

意思決定という言葉は軽く使われがちだが、意思を込めるのは案外難しい。けれど今年は、ひとつひとつの判断に対して、自分の意思を乗せる回数が増えたと思う。雑に流すのではなく、「ここで何を守るのか」「何を捨てるのか」を自分の言葉で引き受ける感じ。遅いと言われれば遅いのだが、変化が出てきたのは事実だと思っている。

ぼちぼち50も見えてくる年齢ではあるが、まだ成長する余地がある、というのを体感できた一年だった。そういう意味でも、2025年は悪くなかった。

ということで、優秀な人材はいつだって求めている。カジュアル面談などあれば、気軽に声をかけてください。

プライベート:毎月ブログを書いた

プライベートで言うと、何といっても「毎月ブログを書けた」のが一番大きい。大西さんが毎月ブログを書く、みたいなことを書いていたのを見て、ちょっと意識していた。

とはいえ、毎月書けていることに気づいたのは10月くらいだった。ノーヒットノーランをやっているピッチャーが、7回くらいで急に意識し始めるやつと近い。終盤になってから「あ、これいけるな」と思った感じがある。

結果として、通年で見ても、はてなブログを始めてから一番書いていたらしい。立場も立場なので、内容はポジショントークに寄りがちだし、仕事の話ばかり書いている自覚もある。それでも、書けたのは良い。

AIまわりの話も、5月の時点と今とで状況がけっこう変わっているので、来年の5月に「その時点のAIデッキ」のスナップショットを書こうと思っている。定点観測は、後から効いてくる。

はてなブログは、まだ全然終わっていない

あらたまさんといくおさんのアドベントカレンダーに参加させてもらって、ぎょっとしたことがある。はてなブログで書いている人が、めちゃくちゃ少ない。みんな note なんだな、という事実が刺さった。

ただ、私は引き続きはてなブログを使い続ける。たぶん死ぬまで使う。意地というより、身体に馴染んでしまっている。

今年読んでよかった本:『アンビシャス』

今年読んでよかった本は、なんといっても『アンビシャス』だった。読み終わってすぐに、そーだいさんに「これ読んでくれ」と強めに勧めたくらいには良かった。

札幌ドームからエスコンフィールドへの移転、その周辺にいる様々な人の人間模様が描かれていて、群像劇に近いノンフィクションとして面白い。登場人物が多いのに、どこかで自分のキャリアと接続してしまうポイントがあって、気持ちが入ったままシュッと読んでしまった。

そして、さっき書いた「意思を込める」みたいな話の重要さを、別の角度からもう一度突きつけられた感じもあった。おすすめです。

Agend のインタビューに出た

5月に Agend というフジイユウジさんのメディアでインタビューを掲載してもらったのも、今年の良かったことのひとつだ。自分の環境がやや特殊なところも含めて、いま考えていることをまとめてもらう場として良かったし、いろんな人に見てもらえた実感もある。

面白かったのは、インターネット上の反応はそこまで多くないのに、直接会った人から「めっちゃ真面目にいろんなこと喋ってますね」と言われることが何度もあったことだ。いや、それはインターネット上で書いてくれた方が私はうれしいのだが、と思いつつ、あの場をいただけたことには素直に感謝している。

フジイさん、ありがとうございました。

今年買ってよかったもの:AirPods Max と DARTSLIVE Home

今年買ってよかったもの、まずは AirPods Max。年始の Apple の初売りで買ったのだけど、今年はマジで使い倒した。家で仕事することが多く、ミーティングのときは基本これになった。

メガネをかけた状態でも装着感が良いのが助かる。ミーティング中はトランスパレンシーにして、自分の声がちゃんと返ってくるようにすると、変に大声にならずに済む。音楽を聴くときはノイキャンを効かせればいい。用途が分かれていて気持ちが良い。

USB-C のモデルにしたのだけど、USB 接続ならロスレス再生もできる。正直、買ってよかったものランキング上位である。

もうひとつは DARTSLIVE Home。1年くらいちゃんとダーツに行けなくて、ダーツバーも漫喫練習もできていない状態に、わりと強いストレスがあった。なのでプライムデーか何かのタイミングで買った。

オンラインマッチをするわけではなく、基本は黙々とカウントアップをやり続ける暮らしだったのだが、最近になって「ロボライバル」が意外と練習になることがわかった。いつでもどこでも対戦相手を呼び出してメドレーを回せるのは、効率の良いグローバルマッチみたいなもので、テンポを作る訓練になる。

自分が投げて、相手が投げる、という各ラウンドのペースを身体に入れられるのも良いし、ロボットがハットだのローだのを続けてくることで生まれるプレッシャーも、知らない人とマッチしたときのあの感じに近い。相手役としてかなり機能する。

ロボットはロボットなので、引き続き、好きなタイミングでダーツバーにも行って、ちゃんと大人の街に出るリハビリをしたい気持ちはある。それでも「いつでもダーツができる環境が家にある」というだけで、めちゃくちゃポジティブだ。買ってよかったものの2位と言っても差し支えない。

きちぴーナイトパーティーでDJをした

asumin に誘われて、吉祥寺.pm のアフターパーティーで DJ をすることになった。吉祥寺.pm は CfP を出したものの通らず、本編のチケット販売も完全に見逃して、アフターのためだけに吉祥寺に行き、終わったら帰るという「ただDJをしに行くおじさん」になった。

ただ、このDJは自分の中では良い準備と良い結果のセットだった。客層の雰囲気が全然わからない。テックカンファレンスの後に来る人たちだから、踊り狂う感じではなくて、酒を飲みながら喋ってるんだろう、という想定はあった。

なので、マイルドなテックハウス中心のセットと、もう少し雰囲気のあるハウス寄りのセットと、さらに上げ切る盛り上がりサイドのセット、ざっくり三段構えで準備していた。結果としては、一番盛り上がりサイドのルートを選べたのがめちゃくちゃ良かった。

この機会を作ってくれた方々、とくに asumin を筆頭に、選んでいただいてありがとうございました、という気持ちである。DJ は呼ばれたら行きます。渋いハウスからハードダンス、サイケデリックトランスからバキバキのアップリフティングまで対応可能なので、呼んでください。

2026年:ネットワーキングの解像度を上げる

2026年の振る舞いとしては、今年以上にネットワーキングを意識していこうと思っている。ここで言うネットワーキングは、ビジネスパーソンの集いに顔を出して名刺交換を回す、みたいなやつではない。人との交流を、いまより少し増やしていく、という意味である。

自分の見識を広げたいのもあるし、その見識を会社に還元する機会を、もう少し意識的に取らないといけないとも思っている。そーだいさんと一緒に、起業家や連続起業家、複数社の経営に関わってきた人たちと飲みに行く、みたいなアクティビティをしていく中で、その必要性をより強く感じた。

別に相手が経営者である必要はなくて、エンジニアリングマネージャーでもなんでもいい。自分と課題の目線が近そうな人たちと、ちゃんと喋って、情報交換できる機会を持ちたい。2026年はそこに手触りを作っていく。

おわりに

とりあえずこんなもんですかね。もう23時56分なので、そろそろこれを ChatGPT に流さないとブログが書けなそう、ということで、皆さんまた来年もよろしくお願いします。

仕事の報酬は仕事

これは「あらたま・いくおのAdvent Calendar 2025」24日目のエントリです。キヨシだけに24日にやらせて頂きます。

昨日はすてぃおさんの相談されやすいマネージャーが最強|すてぃおでした。そういえばワインと鍋、行ったことないのだった。

adventar.org

あらたまさんもいくおさんもインターネット上で一方的に知っている状態で本人達とお会いしたことはないのですが、良いこと言ってるな〜といつも思ってみてます。なお我々3人には「Agendに載っている」という共通点があるのでフジイさんを囲む会をやると良さそうと思った。

さて、マネージャーになると税金が発生しますな、というのは先日書いたので、これはこれで読んで頂けると良い。今回はその先のキャリアの話。

kiyo-shit.hatenablog.com

仕事の報酬は仕事

仕事の報酬は仕事という言説があり、読みようによってはやりがいを与えるのだからそれで満足しろ、に聞こえるし、その結果として搾取の免罪符にもなりえる。なので仕事の報酬は仕事!とApple Watchに怒られるほどにデカい声で打ち出す経営者を見るとギョッとすると思う。

ただ、キャリアを現実的に前に進めていく文脈で考えると、これは精神論的なものではなくて、裁量が配られる仕組みの説明に近いことがわかる。次のより良い仕事(= 今よりも大きい裁量や難易度、インパクトを与えられる範囲)を連れてくるのは、だいたい今の仕事の成果が営業した結果舞い込んできたものであり、これはほぼ構造と言える。

で、経営陣として裁量をどう配るかの意思決定はだいたい同じ形になる。この人に任せたら、期待する成果が出る確率はどれくらいか。もし失敗したときの損失はどの程度で、取り返しはつくか。そのリスクを、今このタイミングで負う価値があるか。ここに尽きる。

だから裁量は信頼でもあるのだが、同時にリスクテイクの配分でもある。任せる側は最初からデカいヤマを任せない。たいてい小さく試すところから始めるし、そこが一番フェアでもある。

裁量がないとケイパビリティを証明できない問題

で、ここでダルい循環が発生する。より大きな裁量を得るには、それを扱えるケイパビリティを証明する必要があるのに、ケイパビリティを証明するには何らかの裁量が必要となる。この、裁量がないと証明できない問題が「仕事の報酬は仕事」の肝だと思っている。

これはレベル上げと一緒で、開幕大きい裁量を求めるのではなく、先に小さな裁量を取りにいく。今の仕事で成果を出して再現性を見せる。その成果を材料にして、一段上の小さな裁量を得る。そこでやり切って、さらに大きい裁量へ進む。役職や金銭的な報酬や影響範囲は、裁量を得たことによる市場価値向上の後にくっついてくることが多い。当たり前っぽいのだが、まあCTOになりたがる人が多いみたいな話題に近いやつで、CxOなりVPoXなりのタイトルを得たいという気持ちが先行しすぎると分不相応のaskをしてくる人という認識をされる。

望ましくない仕事が来たとき

とはいえ、降ってきた仕事がいつも望ましいものとは限らない。自分にとって全然興味がない領域だったり、正直乗り気じゃない仕事を掴まされることもある。やりたくないからやらねえ!で押し返せるならまあそれで良いのだが、角が立たないようなコミュニケーションを取ってしまった結果押し切られてしまうこともあると思う。やりたくない仕事は、どうあってもやりたくないことが多く、そこで激しくデモチするリスクもある。

だから曖昧に抱えて消耗するくらいであれば受ける・受けないを何らかの基準をもって判断した方がいい。

  • その経験がその後の選択肢を増やすものかどうか
  • 小さくても自分の判断で決められる範囲が増えるか
  • 成果が見える形で残り、次の裁量の根拠になるか
  • 永続的に背負うのか、期間限定で切れるのか
    • これが一番重要で、これが重い仕事は後から効いてくる

もし受けるなら気合いで乗り切るのは不可能なので、自分をどうモチベートするかを自分で把握しておく必要がある。最低限受ける前に「これは何の練習台にするのか」を決めておく。意思決定速度なのか、巻き込みなのか、あるいは経営陣の考え方をエミュレートするのか。次に「ゴールは何か」を明確にする。プロジェクトであれば、いつまでにどの状態まで持っていくのか。新規事業であれば、どの仮説をどういうリソースで検証し、Go/No-Goの判断をどこで下すのか。

特に新規事業は0→1までをスコープに入れられることが多いので、期間で言えば年単位になりがちである。なので、事業共感性がない状態で引き受けると、自身がしんどい状態でチームメンバーのマネジメントまで求められる期間が長くなる。このあたりはちゃんと見極めるか、肝を据えるかを自分の中で決めておく必要がある。

ガードレールで期待値調整をする

ここまで書いておいてなんだが、言うても小さな裁量は思っているより低リスクで手に入る。そして裁量=自己責任100%ではない。多くの場合、失敗責任の比重は裁量を与えた側の方が大きい。なので、任せる側もなるべくリスクが大きくならないようにしている。チェックポイントを設定する。影響範囲を限定する。可逆にする。使えるリソースに上限をつけるっていうのもありそう。こういうガードレールを設けることを考えている。

ある側面においてはこのガードレールというのは期待値でもあるので、期待値調整という意味で一緒にガードレール作りを上司とするのも一つのやり方だと思う。

再投資の原資

結局のところ「仕事の報酬は仕事」は金よりやりがいの話ではなく、裁量が裁量を呼び込む構造を作るという話だと思っている。今の仕事で成果を出して根拠を作る。その根拠で小さな裁量を取りにいく。裁量の中でやり切って、次の裁量へ進む。

ちなみに私はリンケージに入社してから80日くらいで予期せず取締役になったわけですが、まあこれも報酬として会社経営という仕事が舞い込んできたな、と思っている。そして、報酬としての仕事を自分で意思決定して自分でリスクを取るという構造になっており、なるほど、実はこれまでのキャリアはチュートリアルだったのか……と毎日思いながら暮らしています。

agend.jp

金銭報酬や労働条件といった衛生要因は大前提としてある。ただ、自分のありたい姿を実現していくにあたって再投資を繰り返すための原資になるのは何か。それが「次の仕事」であり、だから仕事の報酬は仕事、という話でしたー。

その「計画」に意思はあるか

事業計画を作る。まあ、ある程度のポジションを担うと、大なり小なり発生する業務である。

ただ、その「計画」が、いつのまにか「予測」に寄ってしまうことがある。言い換えると、計画が「未来を当てるゲーム」になっていないか、という話でもあります。

最近、事業計画のレビューをしているときに自分が根拠ばかりを聞いてしまい、相手のアウトプットを「予測」のまま受け入れた、という反省があった。そして振り返ってみると過去自分も同じ罠に落ちていた。ので、その反省を元に「計画」と「予測」の違いについて、自分なりの解釈をまとめた。

「計画」は「予測」ではない

言葉遊びがしたいわけではなくて、思考の出発点をどこに置くか、という実務の話です。

もし「計画=予測の精度を上げること」だと無意識に置いてしまうと、思考の矢印が「過去の延長線上で、いかに外さないか」に向く。過去データを集め、トレンドを伸ばし、説明可能なストーリーを作り、誤差を小さくする。もちろん必要な作業である。

ただ、発展途上の局面でこれをやり続けると、組織の重心が内側に寄る。目標を達成することにインセンティブが働くため、それを外すことが罪になり、守りの意思決定が増え、結果として安全側に倒れていく。割とありがちなやつだと思う。

逆に「計画=ありたい未来を実現すること」だと定義すると、出発点が「未来のために、いま何をするか」に切り替わる。非連続な成長はこの切り替えなしには起きにくいはず。

「予測」は天気予報的存在

まず「予測」とは何か。これは過去のデータやトレンドのような客観情報に基づいて、未来に起きそうな状態、つまり蓋然性が高い状態を示すものになる。

たとえば「過去5年の市場成長率が年平均3%だったから、来年も3%くらいで伸びる」という見立て。これは典型的な予測である。

ここには、基本的に意思が込められていない。というか込めようとしても、データがそれを受容しない。

予測は、明日の天気を当てにいく天気予報に近い。気象データがあって、モデルがあって、確率が出る。自分が晴れにしたいと思っても、晴れにはならない。

「計画」は未来への意思を込める

計画は、予測で見えた未来を踏まえつつ、「こうしたい」「こうあるべき」という意思を込める。さらに、その意思を実現するための行動とリソース配分まで落とす。ここまでやって、やっと計画になると思っています。

さっきの例で言えば、「市場は3%成長しそう」という予測がある。そのうえで「うちは新規プロダクトのリリースとセールス&マーケを厚くして、10%成長を取りにいく」と決める。誰が何をいつまでにやるのか、どこにリソースを張るのか、どの指標で進捗を見るのか。これが計画である。

予測が「眺める」営みだとすると、計画は「作る」営みになる。能動と受動の差がここにある。

自分も「予測的な計画」の罠に落ちた

まあ偉そうに言っているのですが、自分も普通にやらかしたことがある。

過去データを集めて、それっぽい予測モデルを作って、数字の整合性を取りにいく。ここに注力しすぎた結果、出来上がった計画は「現状の延長線上の固い読み」になる。外しにくい。説明しやすい。再現性があるっぽい。いかにも正しそう。

でも、そこには「こうありたい」が薄い。ので「どうしたいんですか?」の問いにまともに答えらない。

最近さらに厄介だなと思ったのは、計画のレビューやフィードバックの場面でも同じトラップが出現することである。

冒頭に書いた通り、事業責任者が持ってきた計画が過去トレンドの延長っぽい内容だったときに、「その数字の根拠は?」を確認して満足してしまう。自分も同じことをやっていたから、強く言いにくい、というのもある。

ただ、それをやると相手のアウトプットを「予測」のままに放置することになってしまう。

本当は「その計画の背後にある意思は何か」「なぜそこを目指すのか」を聞かないといけない。場合によっては「これは予測であって計画ではないのでは?」と言う必要がある。というのを痛感した。

数字が綺麗であることと、計画であることは別問題だ、という話でした。

地に足のつかない話で終わらせないために、ナラティブとデータを混ぜる

ここまで言うと、「意思が大事」とか言い出すと、蓋然性が低い願望を正当化するだけでは? という反論が出る。これはめちゃわかる。計画が願望に落ちるリスクは常にあります。

重要なのは、意思と蓋然性のバランスだと要はバランスおじさんが言っている。

ここで効いてくるのがいわゆるナラティブってやつなんだと思った。なぜ高い目標を置くのか。どんな戦略で困難を超えるのか。その結果、顧客や社会に何が起きるのか。このストーリーが語れると、計画は「お祈り」から「原動力」になっていく。

とはいえ、データ重視の場でナラティブだけを語ると、カスみたいなクソおっさんが「で、根拠は?」と一蹴してくる。ここをどう突破するか。

まずやりやすいのは、ナラティブを情熱だけで押し切らず、小さな事実とセットで出せば良さそう。「この市場に行くべきだ」という主張に対して、市場規模データを添える。数名のターゲットユーザーにヒアリングして得たインサイトを添える。小さくテストして見えた初期反応を添える。薄いけど本物のデータを混ぜると、ストーリーの現実味が上げることができる。

もうひとつは、時間軸でモードを切り替えることだと思っています。

来Qの売上目標みたいな短期の話は、予測ベースで蓋然性を高めるのが当然で、ここで変に意思を盛りすぎると現場が破綻する。

一方で、3〜5年の中長期は不確実性が高いので、予測の精度で勝負しようとしても限界がある。そのときは「どうありたいか」の比重を上げ、ナラティブを語るターンを意識的に作ったほうが前に進められる。

短期は予測モードで詰める。中長期は計画モードで意思を込める。そりゃそうだろ、という話なんだが、意思を込めるタイミングを意識する必要がある。

意思の込められた計画

予測は、健康診断の検査結果みたいなもので、いまの数値とこのままいくと起きやすい状態を教えてくれる。これは重要である。

ただ、検査結果を眺めるだけでは、特に良いことは起きない。目指す状態を決めて、運動、瞑想、睡眠、野菜350gのメニューを組み、必要なら治療も含めて実行に落とす。

予測で状況を把握し、そのうえで「どこを目指すか」を意思として置く。人を動かすナラティブを作り、実行のための行動とリソース配分まで落とす。ここまで揃って、計画は効いてくる。

向き合うべきなのは、過去の延長線上をなぞるための予測ではない。予測をインプットとして使いながら、自分たちの手でこの先のあるべきを作りにいく計画である。

そして、その過程で「根拠は?」だけで終わらずに、「意思は?」「それをやる意味は?」と問い続ける。これが思考の習慣として根付くと、計画の筋肉がついていくんだと思っています。

マネージャーの義務、「税金」と見るか?「機会」と見るか?

初めてマネージャーになってから20年ちょい経ちますが、常々自分のカレンダーをゴニョゴニョしているし、ここ1年半くらいは取締役CPOとして、他のマネージャーたちのカレンダーも横目で眺めるようになった。いつの時代においても「マネージャーである限り回避できない時間」そのものはあんま変わってなさそう。

さして発話もしないような定例、進捗報告、社内イベント、社外対応があって、稟議や承認のワークフローが無限にある。カレンダーが自分の意思とは関係なく埋まり、やるべきことに時間が割けない。

ミンツバーグのCEOの稼働を分単位でトラッキングした研究に、他者からの要請や割り込みによって発生する予定が大半で、ディープワークのための時間は少なかった、というのがある。予定の多くが他者起点で決まり、1件あたりの予定時間も短く、まとまった集中作業ブロックが取りにくい、という話。CEOですらこの状態なのだから、現場のマネージャーの時間が自分の裁量だけで守れないのはまあそう。

同じ義務を抱えているのに、成果が分かれていく理由

マネージャーになってすぐくらいの時、「同じような義務のカレンダーを持っているマネージャー同士でも成果にはまあまあ差がついていくな」と感じる場面があった。昇格スピード、任される事業の規模、周囲からの評判(信頼度)。義務の多寡だけでは説明がつかない差があった。

自分とどういう差があるのかを観察して、自分なりの解を出したことがある。彼らもいうて義務は多いのだけれど、その義務を「虚無の時間」としては扱っていなかった。逆に「情報を拾う場」「関係者の温度感や真意を測る場」「アイディアを諮る場」として、意識的に使っているように見えた。

もうひとつ強く感じたのは、「そもそもこの義務は続けるべきか?」という問いを頻繁に口にしていたこと。同じ報告系ミーティングが三回続いて得られるものが薄いと感じたら、マンスリーにする、ダッシュボードで代替する等とやめる提案をしてしまう。なんとなく「そういうものだから」と受け入れている義務に対して、「本当に必要か」「目的に照らしてまだ妥当か」を出してくる頻度が高い。

同じだけ義務を抱えていても、

  • 義務を「虚無の時間」として流す人
  • 義務を「情報・関係構築・意思決定の機会」として扱う人
  • そもそも「この義務いる?」と問い続ける人

で、数年たつと見える景色がだいぶ変わってくる。

義務を「税金」と見るか、「機会」と見るか

自分の中でいちばんしっくりきた整理は「義務を税金として払っているのか、それとも機会として使っているのか」という分け方だった。あとは機会として使うだけでなく「そもそも払わなくていい税金はないか」をよく見直しているかどうか。

税金としての義務は「決まっているからやるもの」になる。週次の定例に出て、連綿と続いているフォーマットに記載する。その場はなるべく波風を立てないことや、指摘されないことが目標になりやすい。参加していても、ただ過ぎ去るのを待つ時間。そういうことありませんか?ぼくは3,599億回あります。

一方で、機会としての義務は「何かを持ち帰るために使う場」になる。同じ定例でも、その場で何を観察するのか、どんな問いを投げるのか、誰にどんな宿題を持ち帰ってもらうのかをイメージしておく。進捗報告も、そこに書いてある数字を読み上げる場ではなく「次の一週間で何を試すか」を決める場に変えていく。社内イベントも、単に参加する場ではなく、普段あまり話せていないメンバーとのコミュニケーションに使う。

大事なのは、「すべてを機会にせよ」という精神論ではなくて、

  • これはもう税金として諦めて払うしかないやつ
  • これはちゃんと機会として使えるやつ
  • これはそもそも節税していいやつ

を、せめて自分のなかで仕分けておくことだと思う。

義務の「節税」をどこまでやるか

機会として扱う価値が低い義務については、「やめる」「減らす」「まとめる」という選択肢もテーブルに載せる。これが概念としての「節税」にあたる。

  • 「やめる」: 本当に目的に寄与していないなら、終了させる
  • 「減らす」: 頻度や人数、時間を削る
  • 「まとめる」: 似た目的の場を束ねる、非同期化する

特に「やめる」は最も効果的で、形骸化しているものはまず破壊することを考える。リンケージに入ってすぐに「経営会議」という名前はついているが目的が良くわからない会議体があり、1ヶ月我慢していたが、あえなく爆破した。

義務的な時間からリターンを引き出すぞ

自分の場合、義務的な時間から少しでもリターンを引き出すために続けていることは、大きく4つある。

  1. この場に自分がいる意味を決める
  2. 義務的な時間から何を持ち帰るかを決めておく
  3. 義務そのものに「本当に続けるか」の問いを乗せる
  4. 義務が終わった後の後処理をサボらない

1. この場に自分がいる意味を決める

まず「この場に自分がいる意味」をはっきりさせる。

会議ならその場で自分が果たす役割を決める。意思決定の質を上げるために論点を整理するのか、ボトルネックになっている前提を指摘するのか、合意形成を後押しするのか。単なる「置物」として時間を過ごすのか、それとも場のアウトカムを設計する担当として入るのかで、同じ時間でも見えてくるものが違ってくる。

資料作成でも同じで「アウトラインをスライド化する人」になるのか、「背景にある課題感を整理して、何を決めるための資料なのかをエグザマに落とす人」になるのかで、アウトプットの質が変わる。前者はただの作業、後者は自分の解釈と意思が載ったものになる。

義務を機会として扱うためには、このセッティングをあまりサボらないことが効いてくる。といっても、壮大な儀式をするぞ!みたいなことでなくて、アジェンダがあれば先に眺めて振る舞いを考えるくらいの話。「この時間の期待値」「自分の役割」「終わったあとの共有先」を考えておく。

2. 義務的な時間から何を持ち帰るかを決めておく

定例であれば、具体的なネクストアクションを定める。たとえば「次の一週間で試す打ち手」「その担当」「いつ見直すか」の三つを最低限の持ち帰りラインにする。進捗報告なら「KPIが鈍い理由をどの仮説から当たるか」を一つ決める。社外対応なら「次にこの相手と話すときに深掘りすべきテーマ」を考えておく。

持ち帰りの量は多くてもどうせ散漫になって未着手になるし、毎度そんなに大量に発生するもんでもない。ので、一つか二つに絞る。「義務の時間が終わった瞬間に、具体的なネタを握っている状態」を作っておくことが重要。

持ち帰り事項はObsidianに書いているが、佐久間宣行さんはGoogleカレンダーのメモ欄を使っているらしい。

3. 義務そのものに「本当に続けるか」の問いを乗せる

3つ目のポイントとして、「これは本当に続ける必要がある義務か?」という問いを、あえて場のなかに乗せるようにしている。「節税」のご提案。

候補になりやすいのは、

  • 毎週のように開催されているけれど意思決定がほとんど生まれていない会議
  • 慣例でやっているけれど、誰も目的を説明できない儀式的報告枠
  • 「なんとなく全員参加」にしているけれど、発言するのは毎回おなじ2〜3人の場

いきなり「この会はクソ」と言うとアレなので、「目的に照らして頻度を見直す」「この部分は資料共有に切り出し、ディスカッションに寄せる」といった形で提案することが多い。

  • 「この定例、次回から隔週にしましょう」
  • 「このブロックは、ドキュメント+コメントで代替しましょう」
  • 「この会は、しばらくは○○さんと自分の月次1on1に落として様子見しましょう」

みたいな感じで、場の中で「頻度・やめ方・別のやり方」を提案していく。年に数個ずつでも義務が減っていくと、時間捻出ができている感覚がある。

このへんの見切りは同僚であるところのそーだいさん(id:Soudai)がめちゃくちゃうまい。設定4のジャグラーをBIG即ヤメできる男。

4. 義務が終わった後の後処理をサボらない

義務が終わった後にどう動くかも、時間の経過とともにかなり大きな差になっていると思う。機会として義務を扱うマネージャーは、その場で得た気づきや決定を、その日のうちに小さく前進させてしまうことが多い。関係者にネクストアクションを簡単に整理したものを送る、宿題タスクを見える場所に置いておく、もちろん手元のObsidianに整理しておくのもやる。やっていることは地味だけれど、この後処理が積み上がっていくと、義務的な時間が翌週以降の変化にちゃんと繋がっていく。

逆に、その場ではいい議論をしていても、翌日には日常業務に飲み込まれてしまい、何も形にならないまま流れていくケースもある。そうなると、義務は単なる「やったことリスト」として積み上がるだけになってしまう。

もう少し具体的なミニケースを書くと、昔いた会社のプロダクト定例でこんな運用をしている時期があった。

  • 週次のプロダクト定例(60分)がある
  • その直後の30分を「ラップアップ」として自分のカレンダーに固定で入れておく
  • 後処理枠でやることは、だいたい決め打ちしておく
    • 決まったこと・宿題をSlackに3〜5行で流す
    • 次回までのタスクをTodoistに入れる
    • 気づきや学びをObsidianに書く

「定例の中でそこそこいい議論をしているのに、次の週には何も動いていない」ということがちょいちょいあったが、後処理を挟むようにしたら、定例で決めたことが1〜2個はそこそこ進んでいる状態になった。体感としては、同じ60分の定例でも翌週までに前進しているトピックの数が1.5〜2倍になった感じがある。

後処理は、どちらかというと「やらなくても誰にも怒られない側の仕事」ではあるが、数ヶ月たったときに効いてくるのはここだな、という気持ちがある。

税金として払うのか、機会として使うのか

もちろん、マネージャーの義務をゼロにすることはできない。税金的な側面はどうしても残るし、「やらないといけないこと」が一定量発生するのは、役割の宿命みたいなところがある。 それでも、どうせ同じ時間を過ごすのであれば、

  • どれくらい「機会としてのリターン」を引き出すか
  • どれくらい「そもそも払わなくていい税金を減らせるか」

に意識を割いたほうが、自分の学びにも、チームの成果にも、評価にも繋がりやすい。

1秒間に10回「なんで俺がこれやんなきゃいけねえんだ!!!!!!」と叫ぶことは日々あるわけだが、「税金として払うのか、それとも機会として使うのか」「節税できないか」を丁寧丁寧丁寧に描くしかない。

そのうえで、「この場で自分がいる意味を決める」「何を持ち帰るかを決める」「本当に続けるかを場の中で問う」「後処理をちゃんとやる」。このネチネチとした積み重ねが、マネージャーとしての仕事のしんどさを少しずつ減らして、同じ時間から得られるリターンをじわじわ増やしていくんだと思う。

ということで年末なので義務という税金を年末調整して機会に変えていこうな!

すげーうまいこと言った〜〜〜〜今日は良く寝れるわ〜〜〜〜〜〜

2025年に買ったイヤフォン・ヘッドフォン

人間の耳は2つしかないというのに、なぜこんなにもイヤホンやヘッドホンを続けざまに買ってしまうのかという疑問は持っているものの、欲しいから買うという行動からは一切逃れることはできないまま、そして2025年を終えようとしている。

(本エントリで紹介している商品はアフィリエイトリンクになっています、ご注意ください)

1月

Apple AirPods Max

  • Appleの年始のアレで買ってしまった
  • 元々うっすら興味はあったが、あまりにも高すぎるので躊躇していた
    • のでアレしたタイミングでヤッた
  • 衝撃的な付け心地の良さで、もっと早く買っても良かった
    • つまりこれまで試しに付けるということすらやっていなかった
    • 試したら即買ってた
    • が、まあUSB-C接続になってから買えたのは結果として良かったとも言える
  • 主に自宅でめちゃくちゃ使っている
    • 音楽再生はもちろんミーティングからYouTubeApple TV+まで
  • 基本的にUSB-C接続
    • ロスレス狙いというよりは充電ダルいので繋ぎっぱにしている
  • 2025年全体で買って良かったものリストの上位に入る

6月

Apple EarPods(USB-C)

  • たまさか出先でミーティングに参加しなければならない時にAirPods Proを忘れていて、MBPのスピーカーとマイクで対応しなくてはならない、というのが発生した
  • ので、ケーブル類をまとめているポーチの中に入れておくもの、というモチベーションで買った
  • そういう意味ではEarPodsである必要は一切ないのだが、いずれMBPから3.5mmジャックが消える可能性も加味してUSB-C接続のヤツが良い、としてこれにした
  • イヤフォンとしてはだいぶ特殊な形状であることを懸念していたのだが、案の定自分の耳の形とうまくフィットしないためミーティング中に何度もハメ直すことになった
  • ELECOMのシリコン製イヤーピースを試したところ、これがバチハマりしてくれた
    • 良くも悪くもやたら低音が強化される

7月

Beats Powerbeats Pro 2

  • 「今年の9月にはAirPods Pro 3が出るだろう」という投機的予測をしていたため、このタイミングでAirPods Pro 2を下取りに出したのであった
  • 手元にあるそれっぽいイヤフォンは3回交換したBOSE QuietComfort Ultra Earbudsで、これがトレーニングするのに全く向いていない
    • インクラインサイドレイズをやると落ちて危ない
    • まずそれ以前に接続がゴミすぎて全く使いものにならない、というのもあるのだが……
  • Vポイントが良い感じに溜まっていたのもあって、VポイントPayチャージ→アマギフ購入のアレで実弾消費少なく入手せしめた
  • ちなみに1も持っているのだが、形状的にはどうしようもなくメガネと相性は悪い
  • ノイキャン付いたのはめでたいが、性能としてはそこまででもない
    • ないよりはマシくらい、つまりPowerbeats 1よりは良い
  • レーニング用イヤフォンとして今日も活躍してくれている

8月

Pioneer HDJ-X7

  • 上の子がピアノを習い始めたのに合わせて、自宅に電子ピアノを導入した
  • で、当然音を出しにくい時にヘッドフォンが必要という話題になる
  • そもそも上の子には使わなくなったShure AONIC 50 Gen2をあげたんだが、これがピアノの練習に向いているかというと、だいぶクエスチョン
  • しばらく(10分)悩んだ結果、戦友と呼んでも差し支えないくらいに俺のDJingを支えてくれたオーテクのヘッドフォンを差し出すことにした
  • すると、なんということでしょう、俺のDJ用ヘッドフォンがないので買う必要が出てきてしまったのです!
  • ピオニールのヘッドフォンはそれなりに評判が良いのだが、さすがにフラッグシップであるHDJ-X10までは手が出せんな、としてX7
  • 装着感も取り回しも良いし、さも壊れにくそうな剛性感も良い
  • きちぴーナイトパーティーで実戦デビューしたが大変良かったですね
    • まあそこまで会場が爆音でもなかったので(どころか中音が薄くて心配になることがあった)ブース内でのモニタリング性能の確からしさはちゃんと確認できていない
  • ちなみに自宅ではMac miniに普段繋いでいて、Abletonとか触る時に使っている

9月

AirPods Pro 3

  • 投機的予測の通り9月に出たので即
  • 入手するまで日常的に使うイヤフォンをPowerbeats Pro 2にしていたので、メガネ干渉ストレスから解放されたのがデカい
    • あとPowerbeats Pro 2のケースがクソデカいという問題もあった
  • AirPods Pro 2からの進化、という点ではノイキャンはちょっと良くなってるかな〜くらい
  • 不満があるかといえば全然なくて大満足である
    • Pro 2のノイキャンに不満がなかったので劇的進化!みたいなのを感じなかった、という話
  • 一方、困りごともあって、AirPods Pro 2のケースに無理矢理入れて使っているという事情がある
  • このSpiegenのケースがとにかく良くて、フタが不意に開くことがない
  • バックパックのストラップにケースを付けて暮らしているんだが、フタが開きやすいタイプのケースだとぶつけた際にフタが開いてしまうことがあった
  • また、ケースをそれなりに覆ってくれているので雨でも安心感がある
    • ストラップに付けているので雨が当たりやすい
  • 無理矢理入れているので若干の怪しさはあるのだが、とりあえず使えている

10月

Anker Soundcore Sleep A20

  • いわゆる寝ホン
  • 1年半ほどA10を使っていたのだが、右側のバッテリーがソッコーで無くなるようになった
  • のと、イヤーピースがだいぶ消耗してきたのでセールやってるし替え時じゃんとして後継機であるこれにした
  • これを買う時には更に後継機であるA30が出ていたのだが、こいつがバカ高い
  • たしかにノイキャンあって、充電ケースが周囲の音を検知してマスキング音を出す、とかのギミックにはちょう惹かれる
  • が、まあいまの睡眠環境においてはここまでのスペックは要らんな〜となったのでA20
  • イヤーピースの形状がだいぶ進化していて、朝起きたら外れていた、というのが激減した
  • 睡眠を検知するとBluetooth接続を切って、イヤフォン内部にダウンロードしたサウンドの再生に移行する機能がめっちゃ良い
    • ただ最初はこの機能の存在を知らなかったので朝方に「エアコンから大量の水漏れ???」と飛び起きてしまった
  • ケースへのしまい方がだいぶ独特で未だに慣れない
  • 寝ホン使うようになって睡眠の質が上がった体感があるので、強くオススメできる

11月

Apple EarPods(USB-C)

  • ケーブル類が入っているポーチを自宅に忘れたことがあった
  • オフィスにはRazer Hammerhead Duoを置いていたのだが、ミーティングが終わったあとに首にかけていて、そのままどこかで紛失する、という災難があった
  • のでオフィス置き用にELECOMのイヤーピースとセットで買った
  • Amazonで買ったのだが、どうやら地味に人気があるのかなかなか在庫が復活せず一瞬在庫があるタイミングをキャッチすることが求められた
  • ノイキャンがないが故にそこそこオフィスの話し声とかが薄ら入ってくるのが逆に良い
    • パッと会話に参加できる

まとめ

  • 今年は7つも買ってしまった
  • が、まあそれぞれちゃんと自分の持ち場があるので決して買い過ぎではない
  • 全体最適を効かせた結果である
  • 来年はいくつ買おうかな〜